れいあ

不器用な生き方しかできない。

はい、れいあです。

10代から20代、わたしはよく詩を書いていた。
大学生のときはマスメディアに就職希望していたので
放送作家になるための講座をとっていたり
日テレプロデューサー会議に参加したりしていた。

作品を作るときは、たいてい鬱だった。
逆に鬱じゃないと詩が書けなかったのだ。
自分の世界の中に入りきり、追い詰めながらアウトプットしていた。
だけど鬱がひどすぎても作品は書けない。

そんな鬱がひどい時代に、よく聴いていたアーティストがいた。
そのアーティストとは、橘いずみ さんだ。
コンサートにも何度も出かけていった。

当時のわたしの気持ちを吐き出したら、こんなかんじだ。
それを見事に歌詞へとのせてくれた感じがあり
よく聴いてたんだ。

これは、わたしにとっての応援歌だった。

GOLD


永遠のパズル


失格


このほかいくつかあるけど
カバーしかなかったり、あっても再生できなかった。

橘いずみの太陽という曲がある。
当時の友達が、
わたしが自傷行為ばかりしていたので
カラオケで歌ってくれたりした、
わたしそのものの歌詞、みたい。

26-Dec.11 1968
というのは橘いずみ26歳のときに発表した曲で
当時のわたしが大好きだった曲。
でも、すんごく気分が暗くなるので
注意して聴いてねw

https://nico.ms/sm3924030?ref=share_others_spweb

これらの曲をきいていて、
このときは泣いてばかりいた。

夜中に突然怖くなり、壁に背を当てて、よく震えてた。
怖くて怖くて仕方なかった。
一人になるのが、とにかく怖かった。

常に隣に男性がいないと、わたしは生きていけなかった。

ダメな自分をいつも呪っていた。
誰かを、すぐに傷つけたりもした。

自分さえよければ、どうでもよかった。
誰かが苦しんでも、見て見ぬフリをした。
わたしに何か言う人には、とにかく罵倒した。
わたしを傷つけた人を恨み続けた。
自分と向き合うって意味などわからなかった。

いつだって、わたしは、わたしを傷つけていた。
人に優しくしたいのに、人を傷つけてばかりいた。

悲しいのに、笑ってた。

いつもやることは、思うことの逆ばかり。

苦しくて、苦しくて、淋しくて、もがいていた。
わたしに生きてる意味などないと思っていた。

こんなわたしは幸せになどなれないんだと思ってた。

傷ついて、傷つけられて、傷つけて。
それでも、立ち上がって生きてきた。



疲れていた。
なにもかもが、絶望だった。


やがて、わたしは、この闇を受け入れた。

わたしは一匹狼だ。

わたしを理解してくれる人などはいない。
だけどその分、孤独に強くなった。


人間なんて、所詮は一人。
誰もかもが、本当は孤独だ。

そして一人は、怖くなくなった。

Climie Fisher Love Changes (Everything)


自らを孤独へ追いやることで、
わたしは内側の気づきを得た。

寂しさを補いあうなどナンセンスだ。
絆って言葉は面倒で好きじゃない。

傷の舐め合いのため同情したり、徒党を組んだり、
人間は、弱いからね。


私たちは

無より生まれいずれし者。

無から生まれ、無に還っていく。


幻想かもしれないが、
無は、虚無の世界ではない。

わたしたちの本質は光だ。
わたしは、少なくとも、そう、信じてる。

わたしたちは光の中にある闇だ。
私たちは、光だからこそ
闇を受け入れていかないといけない。

我々の中にある闇は、孤独は、
光へと帰還していく。


すべては、循環の中にある。

循環の中に、ある。


すべては 夢であるのか
それとも 夢で あったのか


夜は 永遠ではなく


それは 永遠に悲しみを抱く者の
救い であり

永遠の 安息を 願うものの
絶望 である


朝から 夜へ 言葉は 積もり
夜から 朝へ 虚飾は 増す


しかし

夜から 朝へ 言葉は 薄れ
失われた言葉は
苦恨の意思として
世の中に滞り 夜に澱る

その残澤は 楽園の差益となる




不器用な生き方しか、できない。
わたしは、不器用にしか、生きられない。


愛してると、云えない。

愛を、生きられない。


あなたに会いに行きたい。

あなたと愛に、生きたい。

globe Stop! In the Name of Love


globe Love Again





最後までご覧いただきありがとうございます。
れいあ
Posted byれいあ