In Loving Light & Universe, Heal the World

看取りと死生観(2019年version)

2019年04月24日
介護・医療
はい、れいあです。

2012年06月22日に書いた記事を読んだのですが
「全人的医療」云々について何か書けといわれているとき
昔の介護時代に思ったことの再編集をしていくことが必要っぽいので
ここに書いていきたいと思いますね。

ながーーいので、覚悟してくだされ。

*

かつて2006年から2012年まで父方祖母の介護を足掛け7年にわたりやってきました。
まぁ36歳からずっとやってきたわけですが。

わたしがいくつか参考にしてきた本があるのですが
何度かこちらにも書いてきた本があります。
ミルトン・メイヤロフの「ケアの本質 生きることの意味」という本です。

機会があれば読んでみてください。特に医療従事者の方。


老年期の心理なんかも介護当初読んだり学んできました。
わたしはまず介護する人たちのケアができていないことを思いました。
介護従事者が自分をケアしていないと介護がまともにできないなと思って。
体の痛みは心とつながってることは当時からどことなくはわかっていたので。
自分が病院に行く時間などはとれなかったために
自分がまず病気にならないためにどうしていくのかが課題だったのです。
介護すると、人のことばかりが中心となり、自分がおろそかになってしまいがち。

わたしは認知症の祖母の介護だったのですが
最初はまだ話せたし、コミュニケーションがとれたのでよかったのです。

わたしは介護の場でアロマを中心にエッセンスを使っていきました。
アロマをとりいれるといっても当時はメディカルな使い方がメインでした。

何年か前に朝用アロマと夜用アロマを使い分けるというブレンドがかなりアロマ業界で売り出しがあったけど
わたしは2006年当初からこれを介護に取り入れていた。
というのも東京の家というのが一軒家ではあったものの、お隣と近いことから年中隣と接するほうの窓は雨戸を締め切りで
昼か夜か、明かりがなかったのです。
昼か夜かをわけるために、わたしはサーカディアンリズムを整えるために
日中は覚醒系のアロマを、夜は鎮静系のアロマをとりいれていました。
あとはアロマにクレイを使って足浴して汚れを吸着させたりと、いろいろとやりましたよ。
そのためクレイの勉強もしてきました。
ま、勉強ってほどでもないかな。

でもね、祖母の変化を感じた。
祖母が、ある時から香りを認識しなくなったのです。
これは介護が終わってから知ったことだったのですが
アロマの香りというのは認知症の進行度にも関係するのだなと。
人にもよりますが「香り」がしなくなってくるのです。

「自分」というものを認識しなくなっていくのです。
自分であることがわからなくなるのです。
ということは、自己認識の問題が関係してきます。
自分の心と体はつながっている。
自分の肌だという認識がなくなっていく。
自分の体なのかという認識も。
痛みすら麻痺していくというか、
うちの祖母は言語としてわたしに症状を伝えられなかったため
ダウジングを必死でやっていきました。
自分ではなく他者につかうようになったのはこれがはじまりでした。

寝たきりの祖母がいます。
ダウジングで反応した部分があって祖母にきいても反応はわかりにくい。
「教えてください、わたしはどうしたらよいですか?」
というとインスピレーションでたとえば「エッセンス」だったり「ホメオパシー」だったり
それ相応の反応をしていたのです。
確認のためもう一回ダウジングで
「ホメオパシーでいいですか?」
ときいてそれを祖母に与えていきました。
「どのホメオパシーですか」
「何回与えたらよいですか」
とか、祖母に承諾を得ながら(意思疎通はむつかしいけど霊的な倫理問題はあると思うので)

フラワーエッセンスを仕事にし始め
最初一部の人に通じにくかったことがあった。
人のために使うことをすることをしようとする人がいらしたのです。

「うちのだんなにエッセンスを飲ませたい」
「うちの義理の母に飲ませたい」

ちがうんだよなーって。
それってコントロールでしょうって。
霊的な問題なんですよ、コレ。
ってのはずっときてたんだよね。
自由意志の問題を無視してるから。

それはおいといて。。。

日本の医療や福祉のあり方も考えさせられます。
なので介護をしていた時期に政治についてもいろいろと考えるようになりました。

うちの祖母は最終的には誤嚥性肺炎でなくなりました。
インフルエンザの院内感染にかかり、個室に移されたのですが
結果的に食事のときに誤嚥となり、そのままあちらの世界へ・・・
延命治療は望まなかったのです。
日本の場合、嚥下ができなくなるなどで経口での食事がムリとなると
胃ろうになるケースが多いです。
うちの父方祖父は胃ろうだったんですね。
脳梗塞の後、認知症が相当すすんでそうなったのですが
胃にドレーン手術をし、胃に直接栄養剤を注入していくのですが
「食事」といっても口から味わって食べることなどできず
祖父が「隣の人はアンパン食べてるのに何で俺は食えないんだ」
っていったのすごい覚えてます。。。

ここまでくると尊厳死の問題になってきます。

さて。そこで、この状況、
あなたならどう思いますか?
それこそ死生観に繋がるのです。
人生の最期の時、これにどう向き合い、どう考えるかは
生きることを考えることでもあるのです。

1.そこまでして生きてるだなんて生きてるだけかわいそうもしくは生きてるだけ無駄
2.直接食べられないかもだけど、別のことでなんとかしてあげたい
3.それ以外

わたしはどれでしょう。。。。

欧米ではこのように胃ろうのような状態や延命をしないんです。
だから「寝たきり」の人がそもそもいないのです。
つまりそういう状態、そういう時期が来たら
「死を受け入れる」ことが重要
になってきます。

しかし欧米では教会とか宗教がベースにあります。
宗教は日本ではたたかれがちですが、
それは日本人の宗教観に、そもそもねじれてきな構造があるからです。

尊厳死や脳死など含め死生観や看取り、死後の世界を考えることは
本来は宗教の役割なのです。
そして死生観はスピリチュアルとも本来はつながっています。

わたしはホスピスの関係で
彦根市立病院の緩和ケア病棟の黒丸先生の講義をかつて何度かきいていました。
彦根市立病院 緩和ケア病棟
http://www.municipal-hp.hikone.shiga.jp/0000000174.html
黒丸先生はヒーリングやスピなどに理解のある先生ですが
日本の場合明治の神仏分離令以降無宗教である人が多いことも
心理的バックグラウンドに関係してくるかと思います。

廃仏毀釈などの歴史から葬式仏教や
神社仏閣などでも「ご利益」をメインにしているため
宗教を通じて死生観を考えるのは、どちらかといえばタブーになっている空気があります。

ここでさらにさかのぼった2010年に書いた記事から抜粋しますね。

スピリチュアルペインとヒーリング 2010.10.13
http://funkysista.blog88.fc2.com/blog-entry-1020.html
以下抜粋記事(ちょっと長いけど。)

~スピリチュアルペインの定義~
自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛(無意味、無目的、無価値)
・人生の意味・目的の喪失
・衰弱による活動能力の低下や依存の増大
・自己や人生に対するコントロール感の喪失や不確実性の増大
・家族や周囲への負担
・運命に対する不合理や不公平感
・過去の出来事に対する後悔・恥・罪の意識
・孤独、希望のなさ、あるいは、死についての不安

ただ「生かされてる」存在・・・
今の祖母も寝たきりで、そんな気持ちなんだと思いました。
確かに「ただ、そこに存在するだけ、それだけでいい」とあたしは思っていても
一縷の想いは心の奥底までは届いていないだろう。
これは寝たきりの患者や終末期の患者本人にしてみたら「スピリチュアルペイン」であり、
魂レベルで癒される必要性があると確信しました。

「そのとき」が近づくにつれ、だんだん自分で自分の事ができなくなってくる。
これまで食事、排泄といったような、自分が生きていくためにしていた
本能的生理的なことすら他の人に任せることになるのだ。
意識がハッキリしていればしているほど、そのときの挫折感的なものははかりしれない。
そんな精神的自己防衛のため現実逃避に陥り、
それが認知症を進行させるのではないかとあたし個人は考えている。
そしてそれらはオーラのレベルにまで及ぶ感じもある。

あたしは祖母が入院しているときほかの患者さんたちと接する機会が多かった。
ほかのおばーちゃんなんかといろいろ話していると
自分がどうなってしまうのかっていうふうに不安を抱いてると話されることが多かった。

肉体も心も魂もすべてが痛みの中にある深い苦悩を抱えながら
これらを誰にもうまく話せずに生きていくしかなくなった状態は
どうやって心や魂レベルでケアしていくのかが最後まで人生を生き抜く重要なポイントになる。

「スピリチュアルカウンセラー」ってコトバ、きいたことあるって思う。
勘違いしてる人も多いので書いてるのだけど
スピリチュアルカウンセラーは
チャネリングができたり過去世を教えたりする存在でもなければ
未来はどうなるか予知する存在などではない。
これはもともとはキリスト教からきている。
魂の痛みをケアする、死生観についてを語れる存在であり、
本来これは宗教の役割でもあったのだ。

死を考えることは生を考えることでもある。
宗教は死生観とすごいむすびつきがある。

ターミナルケアの場面では
「自分は死んだらどうなってしまうんだろう」
「このまま生きてて何になるんだろう」
・・・と不安の中に閉じこもってしまうケースも多い。
しかしそんな不安は家族にも、ましてや病院の先生には話せない。
つまり誰にも「内在する不安」について話すことができないのだ。

そんな不安を抱え毎日いきている人が終末期の方や寝たきりの方には多いということだ。
家族も終末期に生きる患者さんとどう「命」について折り合いをつけていけるか
悩みながら試行錯誤する日々を送っているのだ。

はたしてそこに「希望」はあるのか。
これがもしパンドラの箱であれば最後に希望が出てくるのだが。

今祖母は介護状態になっていて動けないけど、その中でもどこかに、
ほんの少しでも「生きててよかった」「幸せだな」って
そう感じる瞬間、喜びに満たされてほしいっていつも思う。
そういう瞬間がおそらくは「癒された」状態だと思うし、
そうであってほしいと願ってやまない。

ヒーリングメソッドなどはたくさんあるだろう。
だけど一番大切なことは
「寄り添おうとする気持ち」だってあたしは考えてる。
ただ事務的にオムツ交換や車椅子で移動させてあげることならできる。
そこに「心」はあるのだろうか。
そこに「愛」はあるのだろうか。
何より自分の中に愛があるだろうか。

誰かをケアしながら自分もしっかりケアすることって
生きることについてしっかり考える機会を与えられたことだって思う。

そこにある「意味」を日々、見出すべき時なんだ。
答えは何かの瞬間、絶対に自分の中に見つかると信じて。

なんで介護をするのか。
なぜ人は生きるのか。
そして、生きたいと思える気持ち、
そこにある「よろこび」

そこにある希望。
そこにある祈り。

・・・生きる意味。
今、ここに、生きている意味。
これまで生きてきた、意味・・・

介護してる人に何よりもいいたいのは、
人の命を支えてるってことだから、
もっともっと自分にプライドと希望をもってほしいってこと。
確かに大変だけど、それは決して不幸なんかじゃない。

そして自分をいっぱいの愛で満たしてあげないと、どんどん自分が磨り減っていってしまうよ。
だから自分を、めいいっぱいの愛で満たしてあげて、
あふれた愛を他者に捧ぐつもりで。

だけど愛だけではどうしても語れないところだって介護の場ではかなりある。
とってもとってもむつかしいしデリケートな問題だからね。
介護をやってる人がいたら
もっともっと自分をいたわってあげてください。
もっともっと感情を解放してあげてください。

思い切り笑って、泣いて、感動して、
だからこそ生きてるって実感する。

壊れた心や魂の闇夜は決して薬では治らない。
どんなヒーリングメソッドよりも、ヒーリングアイテムよりも一番大切なものが
そこに
愛の息吹を吹きこむこと
なんだと思う。
それは、かけがえのない、たいせつなこと。
生きている、存在する意味を与えること。。。

ただ、ただ、そこに、
_______存在する。

それがどんなに大切なことか。

自分のハートに愛を感じて、自分を認めて
自信をもって生きていくことは
慣れなければすぐにはできないかもしれない。

過去に囚われ苦しくなる時・・・
未来を恐れて何も出来なくなってしまう時・・・

「いま、ここ」

経験から気づきを得て学んでいくこと。
そして感動と、感謝。

そんな機会を与えてくれる人たちへの感謝と尊敬。
大切な人と同じ時間や空間を共有できることに感謝。

生きることの意味。
自分の存在を支えてくれる、
すべての人へ、感謝。



「今」の自分をどう生きていくのか、
スピリチュアルエゴに陥っている状態の方もいらっしゃいます。

「今を楽しく生きる」ことをメインとしていることはいいのですが
間違った解釈をしてる方は、スピリチュアルな生き方をされているつもりでも
客観的に見ると物質主義の罠にハマっているのにそれをスピリチュアルだと思っている人もいるし。

また、宗教は好きではないという人が多いのも
グルのエゴかどうかすらわからないでマインドコントロールされてしまうようなケースが実際にお客さんに何名もいたのです。
他の誰かの光を求めて生きる生き方なんて、もう、やめようよ。

自分はそこに ありますか?

あなたは何を 信じてますか?

ある日祖母が、東京に住んでいるとき、
まだ認知症がひどくなっていない状態でしたが
祖母は思うように自分をコントロール(排泄とか)できないような状態でした。
これまで自分で全てやってきたこともありプライドが許せなかったのでしょう。

歩けなくなり、車椅子など、人の助けを得て歩くことになり(この状態は要介護2くらい)
そして、身体はどんどん衰えて、起き上がりもなかなか一人では困難になり
排泄機能も意思に反してコントロールできなくなったとき(要介護3くらい)
酔った父親が、そんな状態の実の母を見て殴ったことがありました。
(というか晩年は毎日暴力の日々だったのですが)

暴力は人の気持ちを萎縮させます。
暴力は認知機能もどんどん悪化させていきます。

しかし父親にはそんなことわかりません。
いや、わかろうとしません。
わかりたくない(母親がそうだと認めたくない)のだろうと思いました。

わたしはそんなことで暴力を奮い続ける父親に対し相当の苛立ちを限界まで感じました。
一方、思うように動けない祖母をあたしが一人で支えることも体力的限界でした。
やはり男手が必要なので父親に頼らざるをえない。
しかしそんな祖母を守れない自分が情けなくて。

「おばあちゃんを殴るくらいなら、わたしを殴りなよ!」

壮絶なエピソードがたくさんあるんだよ。
誰にも言えなかったさ。
おばあちゃんには見せたくなかったんだ。
わたしのそういうところを見せたらおばあちゃんに申し訳なくてね。
自分を麻痺させてた?
___違うよ。

わたしはわたしであることを封印したんだ、あの日から、ずっと、ずっと。

一人で7年も悩みと戦ってきて、そりゃぁ苦しかったし、だれよりも孤独だったさ。
だからわたしは孤独に強くなっていったんだ。

孤独死なんてよくいうよ。
だけど誰だって、一人で死んでいくのさ。
だからわたしは孤独死なんて怖くないね。
神の御許に帰るだけだ。
いまのわたしはそう思ってる。

息子(父)に暴力を奮われたとき祖母はヒトコト父親にいったのです。

「私のことを殺してくれ!」

と。

それはそれは壮絶な経験でしたよ。
わたしにとっても父にとっても。。

息子に殺してくれという母親がどんな気持ちなのか。
母親に「わたしを殺してくれ!」と叫ばれる息子の気持ちはどんなものなのか。

それを傍で見ていた私は無言になるしかありませんでした。
なにも状況を変えられないでいる、

「わたしにはなにもできないんだ」

という自分の無力さを呪いました。

腰痛がつらかった父親の気持ちもわかるんだ。
だけど祖母を守らなくては・・・
だって祖母は一人では生きていけないんだもの。

祖母に手を上げるので代わりにわたしが何度も殴られた。
父を許せない状況になりました。
父親がそばに来るだけで吐き気を催すくらい、限界になりつつ
祖母の介護をしていた。
感情をリリースできる場がなく一人で悩みを抱え込んでいました。



「死ぬ瞬間」という本をご存知ですか?
エリザベス・キューブラーロスという方の本ですが読んだことある方も多いのでは。
彼女の本から「死にゆく人の心理過程」(終末期患者の死の受容のプロセス)
これがあたしには参考になりました。

~ エリザベス・キューブラーロス「死の受容のプロセス」 ~
①否認:自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階
②怒り:なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階。
(これまでの人生のすべてを自分でコントロールしてきた人が、そのコントロールをあきらめざるをえなくなったとき、激しい怒りが出現することがある)
③取引:なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階。何か(神など)にすがろうという心理状態。
④抑うつ:なにもできなくなる段階
★反応的抑うつ⇒過去に対する悔恨
・物事の悪い面ばかりにとらわれてマイナス思考に陥る。
★準備的抑うつ⇒未来に対する不安(自分の死を受容するための抑うつ)
⑤受容:最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階。
ある程度の期待は残しつつも、最期の時が近づくのを静観するような心理状態。
感情はほとんど消失しているが、生の放棄ということでもない。
これを幸福な段階と誤認してはならない。
この段階においては患者自身よりもその家族に、多くの助けと理解と支えが必要になる。


先程の「私を殺してくれ」と祖母が言ったとき、
祖母はキューブラーロスの「②怒り」にあたったのでしょう。

2011年11月、わたしはすごく悲しいことがあった。
それにより仕事全部キャンセルしました。
12月になりわたしは仕事に復帰できるようになった。

そんな折、祖母のほうは足の潰瘍がひどくなり訪問看護の範疇ではなく
わたしが仕事復帰した日に祖母が大学病院で診療を受けることになり
そのまま祖母は入院し、二度と自宅には帰ることはなかった。

最初は見たところ祖母は普通どおりだった。
しかし、処置はしてよくなっているというもの、
祖母のオーラが日に日に薄くなっていく。
あたしはホメオパシーにオーラソーマ、エッセンス、アロマ、ハーブティを使い分けた。
一時的によくなったが、今度は熱が出てしまい、肺に水がたまり始める。

「手放し」をしないといけない時期だと思った。
現実を受け入れ、そして、手放すべきものを手放す。。。

祖母を手放すのではない、祖母への執着を手放すだけだ。
それが一番なのだ。
わたしにとっても、父にとっても、そして看護を受ける意味で祖母にとっても・・・
みんながみんな、最善の方法があるとしたら
祖母がサナトリウムに入所すること、ということになっていった。

いつかは祖母とは別れなければいけない。
しかし愛は永遠だから、祖母の肉体は亡くなっても、祖母とはずっと繋がっていられるんだ。
わたしが思ったら祖母はいてくれるんだ。
だから怖くなんてないんだ。

怖くなんて、ないんだ。。。

祖母のところに通うけど、祖母はとうとうわたしのことすらわからなくなってしまった。

しかし、わたしは祖母にこういっていた。

「わたしにとって、おばぁちゃんはおばぁちゃんだからね。
たとえおばぁちゃんがわたしを忘れてしまっても」

祖母へアロママッサージを毎日していた。オーラのトリートメントも。
しかし2月に入り、祖母にある種のニオイがして気になった。
一方で看護婦さんは「食べられるようになったのよ」と喜んでいたのだけどね。

わたしはその後体調を崩して見舞いに行けなくなった。
ようやく調子を取り戻したとき祖母はおかしかった。
そんな中で祖母はわたしをしっかりと見た。
それが祖母との最期だった。

祖父との最期もこんなかんじでね。
しっかり一度持ち直すのよ。
だけどその翌日、とかそんなかんじでね。。

そして祖母の危篤の連絡を受けたが父親と母親は旅行中だった。
祖母が倒れて手術になったときも、両親は旅行中だったんだ。
だからわたしが全部やってきた。
家のこと、すべてわたしがやってきたんだ。
親に代わってね。

病院についたときはまだ暖かかったが、延命処置はしないでくれと父親が頼んでいたため
祖母の顔には布がかぶさった状態になっていた。

現実を受け入れる準備をずっとしてきたためなのか、
わたしは泣かなかった。
そして祖母の手を握った。
まだ暖かかった。

「おばぁちゃん、大好きだよ、おばぁちゃん、ありがとう」

何度も何度もそう話しかけたんだ。
きっとどこかできいていてくれるって思ったから。

母方祖父のとき「おくりびと」じゃないけど湯かんの儀式をしたんだ。
そのとき部屋中に光がくるくるとあってね。
おじいちゃんが自分の亡骸を見てるのかなって感じたんだ。
入院中も魂が先に抜けたのだろうか?って状態になったんだよね。
葬儀の時は白いようなクリーム色の光のカーテンが見えた。
わたしにとっては不思議な光景であり、大天使っぽいかんじになっていた。
悲しみよりも不思議体験というかんじでね。

看護婦さんが部屋からいなくなった時、おばぁちゃんの亡骸を抱きしめた。
おばぁちゃんにレイキヒーリングをし、アロマを塗った。

「おばあちゃん、大好きだよ」

といって頬にキスしたんだ。
おばあちゃん、ずっとずっとありがとう。
そんな意味でキスをした。

そしてわたしは最期の死に化粧をし、両親はそのタイミングで病院に来た。

完全に看取ったわけではなかったけど
おばぁちゃんを感じていた。
心の中に、しっかりと存在しているかのような。。。

色々とこの先も話があるのだけど
こんなかんじだった。



たとえば今「その時が来たらどうする」と話すことはもちろん大切だと思います。
しかし「いいよ、延命しなくて」と今はいっていたとしても
実際に、たとえば脳梗塞で麻痺になって思うように話せないとか、
認知症でコミュニケーションがとりにくくなったなど含めて
いざとなっても、本人はうまくどうしてほしいのかを伝えられずに
たとえばわたしみたいにいきなりの介護で追われてしまうケースもあるかと思います。
そういう状態になって急に生きたいと思うことも多いと思います。

母方の祖父がそうでした。
祖父は生きたがっていたけれども、家族により輸血をストップさせられて亡くなりました。

わたしは疑問に思いました。
祖父は
「生きたい、仕事したい」
と話していたけど、家族の反応は

「何かあって介護状態になったら面倒見たくない」

だったのです。
それは確かに本音かもしれません。
でもわたしはなんか納得いかなかったね。
それでいて葬儀のとき大泣きしていた姿を見て

どうせその涙、ウソなんだろ?

って冷ややかに見ている私がいた。

母方祖父は一代で財を築いた人だったんです。
ああ、みんな尊敬ってものがわかってないんだなという気持ちで不愉快になりました。
いまでも少しそういうふうな目で見てるな、母方のことを。
所詮人よりカネなんだなー、この人たちはってかんじでね。

母方祖父が生きたいといっていて、それをとめたのに、
医師にも回復の見込みも半々あるといわれ、輸血をストップしたのに。
もちろん家族の事情など人それぞれです。

ただいえるのは、看取る側も看取られるほうも
後悔をしないためにできることは
言葉だけでない非言語でのコミュニケーションも大切だと感じました。

特に高齢になってくると、もしくは終末期になると
クラウンチャクラって勝手に開いてしまってグラウンディングしにくい。

うちの祖母みたいに車椅子で、大地に足をつけることがなかったり
寝たきりになったらなおさらグラウンディングはムツカシイ。

一方でクラウンチャクラはしっかり開ききってしまうので
あたしは祖母にエッセンスからオーラソーマを中心としたオーラのケアに変えていきました。

以下参考になりそうな本。
キューブラーロス、ここを読む人の半数は知ってるよね。
上野さんもあちらの住人だったっけ。

人生は廻る輪のように/エリザベス・キューブラー・ロス/上野圭一


ライフ・レッスン/エリザベス・キューブラー・ロス/デーヴィッド・ケスラー/上野圭一



最後までご覧くださりありがとうございました。
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