れいあ

震災から8年。スタートから8年。

はい、れいあです。

震災から8年が過ぎたね。

当時、わたしの中で、
ある曲が、ずっと響いてたんだ。

それは、

七尾旅人 × やけのはら Rollin Rollin


わたしは生きることに貪欲になれない自分に気付かされた日でもあった。

当時はわたしより、祖母をなんとかしないといけなかった。

人のためにずっと生きてきた。
当時は祖母のために。
介護を通してわたしは自分の存在意義を探っていた。
他者のために生きることを通して、わたしは自分を確認していた。

よく、もう、老いていく命と、これからの命、どちらが大切か、なんていうけど、
わたしにとってはどちらも大切、それ一択。

だけど色々と自己矛盾がある。
わたしの中にある整合性を見つめている。

あの震災のときわたしは無職で、介護の合間に、外出していた。
加圧トレーニングを受けに、いまお世話になっている整骨院にいったとき、
雷みたいな衝撃が降りてきた。
3月10日のことだ。
3月11日もお店に行っていた。
なんか、早く帰らなきゃと思い、わたしは少し早めに帰宅した。
帰宅して洗濯物をとりこんでいたら、

はやくおばあちゃんの部屋に行きなさい!

という感覚、声がした。
祖母の部屋に入ってすぐ、地震があり、かなり揺れた。
祖母は不安そうだったから、わたしは寝たきりの祖母を抱きしめ、

大丈夫だよ、わたしがいるから。
心配しないでね

そうなだめていた。

わたしは祖母が寝たきりだったから
2006年からずっと地震の研究をしていた。
目的は、祖母を守るためだった。
そのために、わたしの身はわたしで守ることを思っていた。

停電が続いたから、暗闇の中の介護は大変でした、
近所のコンビニやスーパーは大行列なわりに、なにもない。
わたしは防災はしていたから、足りないものをそろえるくらいなのと、
やはりガツガツとものを買い占めたりしている人を恥ずかしく感じ、
わたしはそこまでして生きのびたくない、それがわたしの様式美としてあることに気づいていた。

生きたい気持ちはあるけど、
自分自身のためにしてあげようと思えなかった。
だけど、わたしは他者のためなら生きていきたいと思う。
それは、きっと、今でもそうかな。

自分の人生をいきながらも、他者のために生きる。
それが承認欲求とか、救世主症候群でも、共依存でもない、
そんな理想がやはりあるんだな。
生きる意味、生まれたことの意味を知りたいのだろう。

震災でわたしは、祖母を守ったと感じ、嬉しかった。
と同時に、ひとつの役割が終わり、
ひとつの扉が開いた。

わたしは院長から、この時期、フェイシャルを学ぶことになった。
そして2011年05月05日。
わたしはフェイシャルをお店で行うことになる。

介護をしていて、ずっとわたしは無職だった。
友達やまわりが、わたしが職についてないと心配された。
わたしはなんか、焦らなかった。
当時は介護がわたしのミッションだと感じたから。

そんな折、介護にエネルギーが寄っていて、ほかに職につくほど世の中甘くないと患者として院長に話していた。

すると、院長が数ヶ月後、仕事をくれた。
ポスター作ってくれ、と。
それなら介護の合間にできるよね、と。
それからホームページを作れたら作ってほしいといわれ、
震災があり、直後から、わたしは院長にフェイシャルを学ばせていただいた。
そして院長のもとで働くようになり、
2012年、祖母がなくなると、フラワーエッセンスのセッションがスタートしていくことになった。

当時は、ほっといても、どんどん道が開いて行った。
だから委ねていたし、なにも心配などなかったんだ。
このとき、わたしは流れに任せていたんだ。

震災のときは大変だった。
でもわたしは、あのときから、人生が開けていく感覚を、院長を通じて感じていた。

改めて院長に守られていたんだなと感じた。
311がくると、思い出すんだ。

かむろ坂の桜並木を院長とともに歩いた日のことを。


※ かむろ坂は、目黒川および山手通りに近い桜のトンネルになる名所。いま働いている整骨院の近くにあります。桜が咲く頃、目黒川は本当に美しいし、大好きな場所です。是非お立ち寄りくださいね!



最後までご覧いただきありがとうございました。


kerri chandler - tomorrow







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