れいあ

いまきたメッセージを伝えておこうと思う~シンクレティズムと臨床パストラルケア

シンクレティズム。

神仏習合を日本人としてどう受け入れるのか。
これは、移民問題とも関係してくるので
真剣に宗教に対して、個人個人が見つめていかなければならない時期が迫っている。
日本にはもともと、民族的な信仰もあるからだ。
お墓の問題も、目にはいれにくいが色々と発生している。
檀家問題とは別にある。
死後の世界を、我々は普段向き合わずして生きている。
肉体を失ってからのことは、スピリチュアルの領域だが
現在のスピリチュアルブームにおけるスピリチュアルカウンセリングなどは、極めて現世的なものばかりだ。
スピリチュアルなケアに、言及せず、
いかに高次元とつながるか、またはなにかを引き寄せるかでしかない。
わたしは魂のリトリーバルを考えている。
魂を救済していかなければならないんだ。

日本では、葬式宗教などと揶揄されている仏教。
しかし、死ぬ間際に、
どう生きてきたのかを見つめることになるのだ。
どう、生きるかは、どう死ぬかだ。
どう、死ぬかは、どう生きるか、なのだ。
逃げてばかりもいられない問題だ。

つまりは臨床パストラルケアを本気で考えていく段階にきているのだ。
これは、深刻なスピリットの闇につながっている。
病院では、スピリットのケアをしていくことが必要なのに、
いまだにどうして、肉体的側面からでしか、とらえられていないし、
医学はスピリットを受け入れていない。
そこで臨床パストラルケアワーカーが必要になるのだ。
臨床パストラルケアワーカーを積極的に受け入れていく病院を増やさなければならない。
彼らは様々な霊性を、様々な宗教や哲学を学び、尊重し、
どんな死後を迎えたいかを考えていく。

実は宗教の自由ほど自分を縛っているのだ。
すべてが自己責任になるからだ。
スピリットの世界からみればすぐわかるが
人間は思うほど自由じゃなく、
ほとんど自由などないからだ。
与えられている自由は、自由意志。
選択の自由のみだ。

戦後の日本から宗教的アレルギーがひどいことが原因だ。
世界的にみれば、
三大宗教を受け入れている国々は多く、
しかし、聖地エルサレムを巡る戦争も絶えない。

宗教的包括主義として日本人が行うべき心得がある。
他宗教を表立って攻撃せず、
その教えに一定の価値があることを承認し、尊重することをスピリットたちは望んでいるのだ。

時間は、ない。

※ 宗教的包括主義(Religious inclusivism)とは、
他の宗教の存在を認め、その教えに一定の価値があることを承認するものの、
究極的な自宗教の優越性への信念は放棄しない思想。

※ 臨床パストラルケアとは|臨床パストラル教育研究センター
http://pastoralcare.jp/care/449.html

霊的(スピリチュアル)苦痛とは、霊・心・魂が求める欲求(ニーズ)が満たされない時に痛みが発生しその痛みが「叫び」によって表現されます。
その叫びに応対する(ケアする)のがスピリチュアルケア(霊的ケア)です。

スピリチュアルな欲求には哲学的ニーズと信条のニーズがあります。

哲学的ニーズとは人生の意義や意味を求めることです。
すなわち、生きる事、死ぬ事、働く事、楽しむ事、苦しむ事、悲しむ事、無力である事、孤独である事、疎外されていること等の意味付けです。

信条のニーズとは超自然の存在や神、永遠の生命、死後の世界、天国と地獄、魂や霊の働き、祈ること、希望、良心、罪や罪悪感、罪の許し、感謝と賛美、のようなものです。

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