れいあ

セッションの現場より ~ 「尊厳」について、考える

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はい、れいあです。

今回のセッションはダンスをされてらっしゃるお客様。
2015年夏前からお越しいただいております。
昨年色々な変化が立て続けに起きて行ったのですが
今回、過去のテーマがさらに深くなっていった内容になりました。

今回、一通りの前回からの説明の後で
「でも、、朝起きると思ってしまうのです」
と目が覚めて怒りを感じていることを伝えられました。
その怒りとは・・・

「生きなくちゃいけないことに対する怒り」

だったのです。
セッションで潜在意識をよみといていくと、この怒りとは、

「神に地球というひどい環境(他の惑星より低い波動)に産み落とされたこと」

という神への怒りだったのです。
それを追っていくと

「尊厳」

という言葉をキャッチしました。
これを伝えると

「実は、最近ずっと尊厳について考えている」

ということでしたので
「尊厳」が今回テーマとなっていったのでした。

尊厳死などはメディアで時々聞かれることばではありますよね。
ダウジングでそのように聞くと
「直観と直感の違い」
という情報がきた。

直観は第三の目、インスピレーションで第六チャクラです。
直感はハートで感じ取ることになりますので第四チャクラになります。

いわば

「ハートの叡智を使え」

ということでした。

「人間はハートの叡智が使えていない」

ということに対するお客様の上の存在の言葉でした。


赤ちゃんは生まれた時、祝福して迎えられることが多いですよね。
何もできないけど、無条件で受け入れられる。

しかし高齢になり、例えば認知症や介護となった時
つまり誰かの助けを受け入れないといけないような無力感を味わうことがあります。
私の知る多くの病院で知り合った認知症患者さんなどは祝福とは程遠く
「息子や娘に迷惑をかけたくない」
とか
「なるべく一人でやりたい」
「誰にも迷惑かけたくない」
っていう人が多いものです。

しかしそれは認知症とか介護の状態になった高齢者サイドの
いわゆる愛なんだろうなと私は思うのです。
これをどのような形で周りが受け入れるのかが大切だと思っています。

以前もここで何度か紹介してきた本があります。
それはミルトン・メイヤロフの「ケアの本質」という本です。


ここでは
他者の成長をたすけることとしてのケア
についてや
ケアはいかに価値を決定し、人生に意味を与えるか
についてが書かれていて
私は祖母を介護をしていた時にこれを読んでいました。

介護施設によっては
未だに赤ちゃん言葉での介護をしているところがあります。
このようなケースは、やはり私なら尊厳について考えてしまうんだよね。。

「尊厳をあきらめている人間」

という言葉がセッション中に来たんですね。

そんな話をしていたらお客様の頭をよぎったのは
自宅で母方祖母の介護を両親がしているそうなのです。

しかしお客様のおばあさまに対する気持ちは
母親につらく当たっていたり、制限をかけていたりというところだったそうで
お母さんに対してひどいことをした人という印象があるそうなのです。

介護って、これは私の個人的な意見なのですが
介護する人、される人との関係性を修復したり、問題を解決したり
そんなチャンスのように思うこともあるのです。

あと、もちろん全てではないけど
認知症になる人の多くは「現実逃避」って部分も
多かれ少なかれあるんじゃないのかなって思うことが多かったりします。

そもそも人間の尊厳とは、
その人の神聖な部分。
というか

神性

であり、

神性とは、スピリチュアル的に言えば、光であり、愛そのものだと思うのです。

というのも私がセッションをしていて一番大切にしているのが

クライアントさんの神性を見る

という私なりのヒーリングポリシーがあって
だからこのことがテーマになったのかもしれないなと思いました。

そのこと(尊厳=神性)を伝えると

お客様は

「人間は、自分も含めてもっと進化すべきだと思う」

とおっしゃったのですね。

人間は一生、成長することができます。
その分「のびしろ」があるのが人間です。

先ほど赤ちゃんは無条件で愛されることを書きました。
つまり
「愛されたい」と思って泣くわけではない。
だけど人間は、大人になるにつれ
「好き」
という感情を覚え出し、
「愛」
を学んでいくものなのだと思うのです。

つまり

愛の感覚に気づく

ということがハートの通過儀礼としてあるものだと思うのです。

これは恋愛だけでなく、家族や友達だけでなく、
自分自身に対してもだと思います。

人間は愛すること、そして愛されるということを体験的に学んでいきます。
これはスピリチュアルな例えとしていうなら

与えることと受け取ること

であり、

受け取ることと手放すこと

にも繋がっていて

宇宙の本質的な根幹をなす原理

でもあります。

人は、愛することを覚えると、愛されたいと思うのかもしれません。
しかし人間は自分でも気づかないうちに
愛することが中心となることが多くなりますが、
それは

自分を愛する、理解する

ということにも繋がっていきます。

これは

自分は何者なのか。

という本質的な問いになっていくわけですが。それが

自己の本質につながること

であり

ソース(universeや神)につながること

と関係してくるのです。

スピリチュアル的なことを言うのであれば

人間は神の性質を体現するために生まれてきた

と言うことになります。

いわばこれが「尊厳」にあたるのです。

愛されること、とは、手放すこと にも似ています。

世間的な「愛されたい欲求」とは
いわゆる「愛したい」と言う気持ちの表れに過ぎません。

愛されることとは

まず、自分であること

が先に来るのだと思います。
これが自我の欲求に応じてしまうと
「愛されたい」と云う言葉で表現されることになります。

愛されると云うことは
自分の弱さや無力な自分、闇の自分を
自分自身が受け入れることが重要になるのです。


一方「無条件の愛」とはなんなのでしょうか。
それは究極の自己犠牲として、時に賛美されますが
これはよく母親との関係を示唆されることがあります。

無条件に愛されて当たり前

という論理は、親側ではなく子供としての視点であって
自分は無条件に愛されてもいいんだという気持ちは
本質的には誰でもが備わっているのだろうと思うのです。

愛されるということは、自分の無力さを受け入れることです。
その心的成長のプロセスとして恋愛があったりするのだと思います。

今回のセッションを通じて
私も尊厳というお題を考えさせられることとなったわけですが
この難しい問題、
理解をし、セッションをシェアしていただきましたお客様に感謝いたします。

最後までご覧いただきありがとうございました。
れいあ
Posted byれいあ