宇多田ヒカル 仕事の流儀 をわたしのセッションに置き換えて解釈すると

はい、れいあです。

先日の宇多田ヒカルの仕事の流儀を見ていて
共感しまくって泣いてしまいました。

宇多田ヒカルの音楽に対しての想いや、取り組みを
わたしはヒーリングに対する、セッションに対する想いを、
色々感じる、共感したところのスクショ集です。

わたしの心に一番響いた言葉は

自分の聖域を守る

という言葉でした。
この「聖域」はわたしの中の最近のテーマのひとつなのです。

結界を張る(寄せ付けない)

のではなく、

聖域を守る(大切なものを守る)

という概念の違いです。

セッションでいつもわたしが言っていること。
それはざっくりいうとこんなかんじ。

自分というものを知り、理解をし、
自分の本質を知り、
自己の真実につながること。
自己の真実に確信をもってつながることができるのであれば
宇宙の真理を知ることができ、
その源泉とつながり流れに乗ることで
楽(リラックスして、肩の力を抜いて)に生きることができる。
そのための自分ができる指標は「喜び」
そこがまだできないときは
時に「これは嫌だ」と自分でないものとの境界線をしっかり認識すること。
自分が本当に好きなものを仕事やライフワークにし、
自分が本当に好きな人とのパートナーシップを学び、
さらに成長していく。



これを見ていて、お客さんの立場にも当てはめてみてしまうし
自分との共通した感情の認識も多いので
そんなふうな視点で見ました。

そしてスタジオのバンドのミュージシャンなどを見ていて思ったのは
これもわたしが普段思っているセッションのことと同じで
わたしはいまスピリットチームとともに仕事をしているという認識が強くあります。

人間としてセッションをしているのはわたしです。
でもわたしそのものも、スピリットだし、
だけど「人間としての役割」みたいなものがあると思っていて
人間だからこそ、具現化、実現、物質化、現象化できるわけなので
わたしは自分というものは押し殺すわけではなく
自分の意見も持ちつつ、スピリットにききながらすすめていく
ひとつのプロジェクトチームみたいな印象が内部にあるのです。

「このひとのためにあるようにわたしを使ってください」
というのは、わたしには違うのです。

見えない存在、スピリット、それはわたしの上も、お客さんの上も
みんなして、お客さんの「存在」というこの世に生まれてきた目的を果たすため
そんなミッションを、スピリットとともに行っていくような
そんなスピリットチームのメンバー(クルー)としてセッションをしているイメージです。

そんな折、お客様から予約が入ったのですが

「月一のレッスンに通ってる気分です。
レッスン受けてるのは私なのか、私についてくれてる存在たちなのか…両方か。笑」


とありました。

わたしもセッションというか、お客様の上から、いろいろなことをセッションから学んでいます。
セッションという聖なる場、サンクチュアリにおいて叡智を与えていただいて、それを伝えている感覚が強いです。

わたしが育てるというと、ちょっと感覚が違うのですが、
お客様の上の存在がお客様をどう育てていきたいのか、
わたしのスピリットチームも一緒にアイデアを出していくような
そんな貴重な時間が、わたしにとってのセッションです。
だから、そんなお時間を、お客様とそのスピリットたちと、ともに過ごせるということは 
わたしにとっての喜びでもあります。



本当のことはなんなんだろう
真実はなんなんだろう


それを探すことがわたしにとって 希望を持ち続けること




音楽が脚本で そこにストーリーとか 感情が 全部入っているから


まったく自分の中にないものや ない場所に行くとか 作るということはないんですよね


だから 自分の中にあるんですけど 触れないものを 取り出す みたいな 


思い出そうとしていて 何かを


「いや違う それじゃない」という感覚に一番近いです


普段 ある程度 いろんなものに フタをするじゃないですか


コントロールするというか 自制心みたいなもの


自分でも見ないようにする部分があったり というのを


そこを一回 突破しなきゃいけないので


そこのフタを開けて


地獄のフタが開いたみたいなところ


「開いた」ってなって
そこに突っ込んでいく作業なので



感情的なエネルギーをすごく消耗する


ひたすら泣けるだけ泣いて
泣きながら


この感情は何を泣いているんだろうって


一生懸命 どこか頭で冷静に考えて
探りながら泣くっていう


自分のなかの、”真実”


作ろうとしているものは わたしの中にしかないし
わたしにしかわからないものなので


真実とか 安息とか 救済とか
他者の中にないじゃないですか



だから 自分の中に 見い出すしかないと思うので


できあがった歌をきいてもらうしか
説明のしようがないものっていうのが そこに


でも 何か真実はあるだろうと


環境は自分でどうにもできないけど
自分ひとりでも どうにかできることってなると


わたしには音楽というものがあって


そこにわたしの”最後の望み”みたいな感覚があって


その真実は じゃあどうしたら それに触れられるんだと


それがないと あまりにもむなしくて 絶望しかないので


それがあるだろう どこだ?
と思ったら それは他者にはないと


自分以外の世界にも 人にも ない


もしくは 本来 自分と向き合うことが
音楽を作るうえで 大事だと思うんですけれど


”真実”を、歌う


(アーティスト活動休止した後でスタジオに復帰したとき)
「ここ(スタジオ)が一番世界で楽な場所なんだな」って気づいて


自分の中の雑音も 他者の雑音も 入る余地のない


聖域みたいなところだというふうに たぶん わたしは感じて


真実とだけ 向き合おうとしていればいいので


どこに心を置いていいのか わからなくて


(レコーディングを終えた後、バンドのメンバーから言われた言葉)
すごく不思議な感覚だった


人生が 見えたのね


(メロディが浮かばずに悩み、期限がきているため)
ナボコフの一番好きな カントス(詩) ちょっと 読もうかな とか


でも やっぱり 頑張って歌わなきゃ と思って


(音楽は)好きでやるとか 楽しいっていうのとは
また全然違う感覚なので


苦しい時もあるけど やらないことのほうが苦しい


でもたぶん 続けないと 生きていけないだろうな という気もするので


わたしはたぶんマックスで 自分のために やろうとしているので


3年も取組んでいるのに どうしていいか わからないの


(バンドのメンバーに)
この曲は未完成なので 自由に考えてもらって


すごく固まってない状態で ミュージシャンが参加して という曲だったので


一番「わあ こんなふうになるんだ」と


わたしが脳内で見えていた風景が


みんなも見えたんだな ちょっと


3年間も 悩んできたのに みんなに相談するだけで よかったなんて


(母のことについて書いて3年悩んでようやくできた新曲「夕凪」の歌詞より)
すべてが例外なく
必ず必ず
いつかは終わります
これからも 変わらず


真に 分け隔てなく


誰しもが 変わらぬ法則によります




この新曲のタイトルは、直前までGhostという仮のタイトルでした。
歌詞だけがかけずに、ようやく歌詞がきまった。
タイトルは夕凪という曲になった。

終わりがあるから始まりがある

ということは

終わりがあることの安心なのだろうか?

と思う。

終わりがあることは、新しく始めていくためのものだから。
一方で永遠にある部分がある。

いってみれば永遠なるところは波動の荒い物質界からは離れたところにあるので
普段はあまり感じにくいところにあると思うけど。
「夕凪」というタイトルをつけたのは
夕暮れの海の寄せてかえす波、
そんな自然のサイクル。
そして朝という、
終わりがあることへの安心なのかな。
寄せて返す波は、
息を吸って、息を吐いてのサイクルを思い出させるよね。
ひとつのサイクル、リズムについて
新しくはじまるサイクルについての気づきがそこにある。

最後にいっていたのは

「自分に正直であること」

をはなされていました。

自分に正直にあり、音楽に正直でありたい、と。

わたしもそう思うことは多いです。

そんなことも含めていろいろ感動する点が多かったです。


最後までご覧いただきありがとうございました。
光の錬金術師れいあ
Posted by光の錬金術師れいあ