れいあ

お金と感謝のエネルギー

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はい、れいあです。

今日はお金についての個人的な気づきについてシェアしていきたいと思います。

そのきっかけはレン君(大牟田動物園)に寄付していることについて思ったことが「引き出し」でした。
レン君をはじめて知ったのは2013年11月中旬、ちょうどいまくらいのことでした。
そのときは名前どころかオスかメスかすら知らなかったんですね。
だんだん好きな気持ちは強くなりレン君のところに会いに初めて行った2015年6月。
そしてわたしは大牟田市動物園に寄付をしていくようになった。

はじめはレン君にお嫁さんが来てほしいなと思っていた。
レン君がもっと幸せを感じられるようにと思ったことだった。
だけどわたしは徐々にレン君だけでなくそのほかの動物に使われてほしいと思っていき
大牟田市動物園のスタッフさんをはじめとして
よりたくさんの動物や人が幸せになれるようにと思うようになり
寄付しはじめたら色々なことが動いていった。

レッサーパンダだけで言えばレン君にお嫁さんがきてくれたこともそうだし、
大牟田市動物園がハズバンダリートレーニングで注目を集めるようになり
いまでは動物をいかにとるかの写真教室とか
動物に対する環境エンリッチメントとして
レン君なんかはボルダリングを設置してもらえるようになった。
飼育員さんの話をきくと、動物に対していかに心地よく過ごせるかなど聞くことができた。
なんというか、動物園を取り巻く大勢の人がポジティブなかんじになってきているように変化してきている。
1人ひとりの意識が上がっているようにも思う。
同じ寄付をするにも、こころをどういう意識でするかにより違うのかも?って思うようになった。

わたしは義務感や正義感で寄付はしていない。
義務とか正義感ではなく、寄付の団体や相手がどんなふうに幸せになってほしいのかを考える。
それは喜びからのエネルギーだと思っている。
よろこびからのエネルギーとは「すきなことにお金をつかう」ということでもある。

これを思うとき、たとえばうちの両親は株をやっているんだけど
わたしは詳しいことはわからないけど
本来は、エネルギー的には「その会社が好きだから応援したい」っていう気持ちが大切なのかもしれないと思った。
いくら儲かったか、とか、どんなものが株主優待にあるかとか、両親はそういうので決めてるけど、
目先の利益をどうしても考えてしまうのは仕方ないのかもしれないけど
お金の使い方って無意識レベルでのものだから、いろいろとその人となりが出てくるところでもあるよね。
どんな意識をもって使っていくのか、そこに犠牲的なものがあればそのようなものを引き寄せてしまうし
よろこびをもって好きなものに使っていくのが理想だな。

このとき「お金を使う」ということで思い出したことがいくつかあった。
10代までは、うちでは長男である弟になんでもお金がつかわれるようになっていた。
中学の時、わたしは音大にいきたかったんだけど
「お前に使う金はない」と父親にいわれ、社会人になっても結構ひきずっていた。
わたしはピアノをやっていたため音楽をやりたかったこともあり音大にいきたかったけど
わたしはあきらめて高校に入り、法学部をめざした。
当時は「検事になりたいので法学部に入る」という目標があった。
わたしは推薦入学を目指していた。
わたしがいきたかった私大、まぁ青学の法学部だったんだけど、
当時のわたしの評定があればわりと余裕で優先入学できたはずだった。
わたしはミッションスクール出身だったけど、信者ではなかったし、洗礼はうけていない。
実際に推薦入学には、わたしより評定がずっと低いコが選ばれた。
頑張ってきたのにいきなりほおり投げられた気持ちになったわたしは先生に理由をきいた。
すると
「洗礼をうけて毎週教会に通う人をとる」
といわれた。
もっといえば当時の担任は上智大学を出たばかりの先生だったんだけど
「俺の力が足りなかった」
といわれた。
ようするに学年主任だったりとか力がもっとある先生のクラスならいけたのに申し訳ないと謝られてしまったのだ。
当時のわたしはバイトもしていなかったので社会というものをよく知らなかった。
ネット社会でもなかったから社会的な情報もないしね。

わたしは困った。
なぜなら受験勉強など一切想定していなかったからだ。
みんなが進学希望で予備校に通う中、
それでもわたしはやはり「お前に使う金はない。大学に落ちたら働け」といわれていたし
いまはいろいろ奨学金の返還などがなかなかできないというふうに問題になっているけど
当時はどれくらい大学にお金がかかるのか、
予備校にお金がかかるのかわからずにいた。
参考書とかそういうものはすべてお小遣いで購入し、
とにかく独学しかなかったので独学で学んだ。
いまのわたしはいろいろを独学で学んだりしてきた経緯があって
だからこそ講習やワークショップに行くのは先生選びではとくに慎重になっている。
どの先生に学びたいのか、どの先生についていきたいか、
どんなメンターがよいのか、
そういうことはやはり直感というか、ダウジングも踏まえて時期を見てそのときに必要な講習を中心に受けている。
やはりこの先生が信頼できるって人に対して学びたいし、
セッションをうけるのも、その人が自分の人生にどんな影響を与えるか、あっているのか、など、

お金って信頼とか愛がベース!

ってわたしは思う人なんですね。

小さい頃、わたしは母方祖父母の家にいくのが嫌だったんです。
というのも祖父母にお小遣いをもらうたびになぜか悲しくなっていた。
子供なら喜ぶのに、わたしはなぜだか悲しかったのだ。
そしてヒーリングの職業について、学んでいって気づかされていった。
いわゆるインナーチャイルドの問題にあった。
おじいちゃん、おばあちゃんが好きだからあいにきたのに、なんでおかねをくれるのか。
お金をわたされることで愛情をごまかされているような気持ちだったのだ。
そこに対して、わたしは悲しかったのだ。

大人になり、仕事をしはじめ、社会的な経験を重ねるうちに、ものの価値もわかるようになっていった。
だからこそ自分で働いたんだから、好きなものに使うようになった。

「お金を払う」ということは、そこに「エネルギーを注ぐ」ということ、であり
「時間をかける」ということも、それだけ「エネルギーを注ぐ」ということ。

そんなふうに思えるようになり
祖父母がくれたお小遣いの意味や大切な気持ちがわかるようになっていった。
感謝とか、まあ、ありがとうございます、な意味が身にしみてわかるというのかな。

前に話したかもだけど
うちでは、ありがとうの言葉をきかずにわたしは育った。

逆に、ありがとうがない家で育ってきたため(それは今でもわたしはきくことがないんだけど)
感謝という気持ちや、どんなときに「ありがとう」って言えばよいのかなど
恥ずかしながら30歳になるまで、わからなかったのだ。
もっといえば「いただきます」「ごちそうさま」って言葉もいまだに聞くことがない家だ。

これらに気づかされたのは音楽友達と出会ってからだ。
「ありがとう」といわれたとき、わたしは思わず
「なんでありがとうっていうの?わたしはなにもしてないのに」といってしまったのだ。
わたしはこれまで頑張っていることに気づかなかったり、
自分は当たり前としてやっていたこともあって
わたしは自分に対して価値を見出せなかった。
というか自己価値ってよくわからなかったし、自分を好きになる感覚なんてわかるはずもない。
だからこそ「ありがとう」といわれる自分を否定してきたし
わたしは人からそういわれたり、扱われる資格などないと思って生きてきた。

いまでは、もちろんいうようになった。
でも家ではありがとうと私は言っても、いわれることはない。
そんなさみしさはあるけど
わたしはやってもらったことがうれしいから、ありがとうをつたえたくて、伝える。

しかしこんなとき、うちの母は専業主婦なんだけど
父親がこれまで生活をささえてきたことに
どれだけ感謝できてるんだろうと思う。

父親が生活を支えてきてくれたことに対して感謝していれば・・・
と思うことも多い。
父親は被害者意識が結構ある人なんだけど、
母親が父親に対して敬意や感謝を感じてそれを父親に「ありがとう」でなくてもねぎらいでも伝えていれば
被害者意識って今よりはないんじゃないかなって思うし
おそらく体調にも表れているだろうと状態を見て思うことも多い。

これといった喧嘩は2人にはないけれど
わたしならパートナーとは敬意をもって感謝しあえる関係を築きたい。

感謝やありがとうを伝えることは強制でも義務でもない。
そうしてくれた心がうれしいから、
その気持ちを伝えたいから伝える。

なによりも大切なのは、感謝できる状態の心を持ち続けていくこと

なんだと思っている。

わたしはバスやタクシーの運転手さんにもいうけど
やはり命を預かる責任のある仕事だから
安全に目的地までありがとうの意味で伝えている。
母親は、わたしが運転手さんにありがとうというのを気持ち悪がったりするし
いまだにわたしがいうことに対して
ありがとうと返ってこないと損した気持ちになるからいわない、という。
もちろん、いわなくてもいいのだけど
わたしは母親に、ありがとうの意味を、
言葉や形式でない気持ちがそこにこめられてることを
知って欲しい気持ちはある。

日常生活、どこに愛があるか、それを見つけていけることで
小さな幸せってたくさんあると思ってる。

幸せは人から与えられるものではなくて、
なにかしてもらったときだけの「ありがとう」じゃなくて、

自分でいかに愛に気づいて、愛をしっかり感じていけるのか

だってわたしは思ってるよ。

母親がいまこうして不自由なく生活してるのは
父親がいてくれたからだし、
なんていうのかな、
そういう気持ちを持つことは
こころがあたたかくなるからさ。

口に出さなくてもいいから、
なにより、そういうあたたかみを
感じる気持ちを取り戻してほしいんだよね。

これを感じられないときは心がマヒしてるんだろうなって思うけど
麻痺しているのはなぜか、
そしてありがとうを伝えるときは伝える習慣がなければ、いうのに少し勇気がいるかもしれない。
でも、そこが出せないという裏には「怖れ」が潜んでいるということ。
セッションをしていると、そういうところにも気づいていってほしいって両親には思うけど
やっぱり、わたしは「変わりたい」って思う人を応援していきたい(笑)
変わりたくない、気づきたくない人を気づかせるのってすごく大変なことだって思う。

わたしは20代でパニック障害やうつになったとき、最初はとにかく自分がどういう状態なのかを知りたかった。
わたしは自分の病状が知りたくて精神医学の本を買いあさった。
どんな薬があるのか薬学も少しかじった。
わたしは薬がなおしてくれると信じていたのだ。
薬は症状の軽減にはつながるけど、なぜこうなったのかについて気づくことはない。
そしてわたしは心理学を学ぶようになった。
心理学といっても学んだのはフロイトの精神分析が中心で
コフート(自己心理学)やカーンバーグ、ウィニコットなどを中心に
牛島定信先生の本をたくさん読み漁った。
いわゆるアメリカの精神医学(DSM)に準じてパーソナリティについてを知っていくことに興味があったのだ。

そしてわたしは家にいるのが苦しくなり家出をした。
友達の家を泊まり歩いたり、クラブで夜を明かすことも多かった。
そんなとき、わたしは母方祖父母を訪ねた。

母は家でわたしが20歳すぎまで虐待されていたなど
わたしは母方祖父母にそれを全て話したのだ。
どうしても伝えたかった。
母方祖父母に、小さい頃おじいちゃん、おばあちゃんにあいに行くのがつらかったことなども。
母方の叔父の娘(いとこ)なんかは、
おじさんがすごく娘をかわいがっていたようにわたしには思えていた。
わたしがお正月など祖父母に会いに行くと、わたしはかならずけちょんけちょんに父親にけなされた。
いわば公開処刑のような状態がお正月に恒例として続いていた。
「うちの娘は本当にダメで」
とかそういう生易しいものだけではすまされなかった。
とにかくわたしはプライドをズタズタにされていつも帰ってきていた。
小さいころからずっとだった。
わたしはいつも以上に居場所のなさを感じていたのだ。
だから自分を素直になんてだせなくて
祖父母にはかわいくない孫だったかもしれない。
常にぶすっとしかできなかったのだ。
自分を出すことなどわたしは自分で許さなかった。
そうしなければまた父親に傷つけられてみじめな思いで帰ってくることになるから。
だから、わたし、ずっとぶすっとしてたんだ、ごめんねと母方祖父母につたえた。

まだまだうつの真っ最中、一番ひどい時期だった。
そんな中で、よく「つらい」というふうに吐露できたとは思うけど
それくらいわたしは追い詰められていたのだ。
というより自分で自分を常に追い詰める癖があったことも精神分析などを読んでわかっていた。
わたしはわたしを変える必要があったことはわからなかったけど
なにをどうすれば変われるのかなどまったくわからずにいた。
わたしの唯一当時ほっとできる場所は精神科だった。
先生がいわゆる理想の母親像というかんじで、わたしの母以上に「お母さん」的存在だったのだ。
その先生はわたしがアロマに興味が当時からあったのだけど、
「今日は風邪っぽい人が多いからユーカリをたいてみたのよ」
というかんじで、わたしが興味を示したものに共感をしてくれ、そのような形でとりいれてくれたりしていた。
わたしは患者側だったからなんともいえないけど、
もしかしたらこのときすでにこういう仕事、いろいろな人の心を救うような仕事に興味があったのかな・・・
でもわたしがカウンセリングを自分がやるまで回復するなんてこのときは思えもしなかったけどね。。

色々な母的には秘密事項であった父の暴力(というか酒乱)などを母方祖父母に訴えたため、当然母には怒られた。
余計なことを話すなと。
完全なるアルコホリックな、機能不全家族だよなと思ったものだ。

母は10代のとき結婚し、わたしを産んだ。
これは父方祖父母にいわれたことなんだけど
母方祖父はかなり母に厳しくて、母が結婚するとき興信所の人が家や近所にきて
近所のひとたちにまで父のことを色々きいて調べていたそうだ。
それくらい母方祖父は母の結婚に対して相手がちゃんとしているのかを調べる人だった。
母は結婚し、家庭に入り、パートを母方祖父は禁止していたらしい。
そんな母方祖父だけど、わたしが父方祖母の介護をしていたとき
いつも父方祖母のことを気遣ってくれた。
そしてわたしに対して「介護を○○(母の名前)もちゃんと手伝うように言っておくよ」
といってくれていたりした。

父方祖父母は昔言っていた。
母は結婚し絶対に実家には帰らない人だと。
父親が厳しいから帰りたくなかったのかなと今でこそ思う。

母親がそんなだから、わたしや弟をつれてお正月にいくとき
わたしも弟もそんな母のこころをどこかで感じていたのだと思う。
小さいときは、やはり母の感情の影響が子供にあらわれるんだなといまならわかる。

こんなかんじで家庭の事情をつらつらと書いてきたけど、
やっぱ根本は家庭での愛なんだって思うわ。
小さい頃どんな親を見て育ってきたのかって
人生の様々なところで影響してくるものだからね。

いまわたしは自分のいろんなテーマに対して、かなりクリアにはなってきたけど
親との様々なテーマがあるとき、
自分がどんなことを求めているのか
これが問題になってくると愛着障害のようなものにもなってくるので
精神的にいかに自立をさせていくのかがポイントになってきます。

色々思うことや気づいたことを書いてきましたが
豊かさとかお金っていうものをとらえたとき
やはり他者への愛の循環からできているのかなあと思うことが多いです。
そして、そのような世の中になっていくためにも

お金に対する使い方を意識レベルでシフトアップさせていくことが大切

だと思うのです。
わたし自身もっと喜びにフォーカスしたお金に対する意識の使い方をしていきたいなと思います。


最後までご覧いただきありがとうございました☆彡
れいあ
Posted byれいあ