頑張ること。努力をすること。

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光の錬金術師れいあ

はい、れいあです。

前回もちょっと書きましたが
わたしは日常のもやもやがあると
思うままに書き留めて
そのままセルフセッションをして掘り下げる習慣があります。

出て来る感情や思考を書いていき、ダウジングをし、
さらに自分のテーマを掘り下げていきます。
皆さんに行っているセッションを自分自身でしているわけです。

今回、そんな掘り下げから

「わたしのこれまでの努力はなんだったのか」

に反応しました。

これはどういうことかというと、
わたしは

「努力などしてない」

という思い込みがつよいことがわかりました。

わたしはよく、お客さんなんかから

「れいあさんは色々学ばれて努力してらっしゃいますよね」

といわれたりするのを
素直に受け止められずにいました。
なぜなら、わたしは努力している感覚がなかったのです。

「努力しているっちゃ、しているかもしれないけど、、、」

というかんじで

「努力していると認めてはいるけど
努力する自分を素直に受け入れられない」

というかんじかな。

完璧主義ではないんだけど、
そんなところに自分の生きにくさをかんじます。

わたしはサポートしてくれているスピリットのいうとおりにしています。
困ったときもサポートしてくれるので
わたしは努力をしてないと思い込んでいたのです。
しかし実際は努力をしていたことに気付かされたというか。
人から見れば努力をしてるかもだけど
わたしはスピリットにサポートしてもらってるから、こんなに楽してよいんだろうか?
なんて自分を責めたりすることも多いです。

サポートしてもらっているので

わたしは自分が思うレベルまで努力をしてない

と思っているところがあります。

セッションも、スピリットにサポートしてもらっています。

もっとお客さんに幸せになってほしい

って気持ちがあって、
それでも苦しそうなお客さんをみていると
わたしはもっとなにか努力しなきゃいけないんだ、それは何なのか。
わたしはもっともっと上とつながる必要があるんじゃないか。
わたしはもっともっと伝達能力をあげなくてはいけないんじゃないだろうか。
色々考えているんですが、
どれもしっくりこない。
そこにみるのは、
ふがいない、努力不足のわたし
というイメージにフォーカスしてしまいます。

一方、時折、

「こんなに頑張っているのになぜわたしはダメなんだ?」

という思いがあって、
それは表層での

自分を受け入れられない

という意識を探ると、すぐにあるのは

自己否定

で、さらに下にあるのが

自分を信じられない

自分を認められない

自己価値のなさ

無力感 存在価値を感じられない

神との分離感

絶望感

生まれてしまったことへの罪悪感

バーストラウマ

構造的にわたしの意識を捉えると
いま意識できているテーマは
このようにわたしの場合はなっているようです。

「わたしは自分が思うレベルまで努力をしていない」

と思っていることについてヒントをカードからもらうと

【study】

が出ました。
中でもダウジングで反応したのは

「学ぶ過程をじっくり楽しむ」

という部分でした。

その言葉をみていてふとかんじたのは

「努力することは みっともない」

という観念がわたしの中にあることでした。

そこをみていくと

「宇宙の流れにのることは、
努力しないでも楽できる」

という思い込みがあるようで、
この思い込みの裏を返せば

「自分が努力をしていることを認めたら
流れにのれてないと思えるため
努力はしてない、頑張らない自分を
美徳としている」

という気持ちがさらに奥にありました。

わたしはその観念を捨て、

「前にすすむために 努力することは 美しい」

と書き換えを行う必要がでてきました。

そのためには

「頑張らずに努力する
楽しみながら努力をすることで
スムーズに前進できる」

というものに変えていく必要があります。


さらにオラクルをひくと、でてきたのは

【依存】

のカード。

ここから浮かんだこととして

「流れにのることはスピリットに依存することだ。
だからメッセージはなるべくきかず
自分でできるだけやらなくては。
でないと、わたしという存在、生命が生まれてきた意味がない。
それが、生きるということであり、
これが現実なのだ。
スピリットのサポートは時折困ったときだけでよい。
サポートをいつも受けているわたしは努力をしてないし依存をしている。
これは現実を生きていないことになる」

という幻想があるようなのです。
わたしは、どうやら、いまさらながら

「わたしはスピリットのサポートを受ける資格などない」

という思い込みまででてきたんですが、
先ほど書いた

「神との分離感」

になっていき、別テーマになるため、
それについての掘り下げはまたの機会にしますね。

わたしの中にある、

「スピリットや創造主とは必要以上にはつながらない」

という気持ちをさらに見ると

「人間には意志がある。
人間に生まれてきたんだから
わたしは自分でやらなくてはいけない」

という気持ちがでてきたんですが
「神との分離感」
とも関係があったりします。

これがわたしにとっての

【頑張ること】

の定義になってるようです。

「わたしはこれらの古い観念を手放すことで
自分と調和する」

という生き方に変えていく必要があるみたいです。

【頑張る】

とは、二つの語源があり、

「眼張る」

から見張ることをさし、
見張るために
「一定の場所から動かない状態」をいうもの。

そしてまた、

「我を張る」

という意味もあります。

どちらにしても、頑張るという意味は
硬直した状態になるわけなんですね。
だからこそ、リラックスが大切なんです。

つまり、

「努力することはイコール頑張ること、ではない」

ということをわたしはきちんと理解する必要があるというわけなんですね。

昔、学生時代、よく試験前に
「なにもやってないよ?」
とかいいつつ上位にいる人をみて

「実は、勉強してたんじゃない!」

っていわれたりとか、
すごくキレイな人がいたりして、
なにされてますか?なんてインタビューに

「わたしはなにもしてません」

なんてのをみて

「実はなにかしてるんじゃない!」

なんてケースがあるように、
確かに彼らはなにもしてないように見えるかもだけど
それはおそらく、楽しみながら努力を努力とも思わないのかもしれません。
努力を自然体で、頑張らずにしているからこそ、
やはり、すごいとおもうわけで
楽しみながら努力することは、美しいのかもしれません。

わたしは、まず、努力をしている自分を受け入れて、
楽しみながらそれを行えるようになるよう、
そんな美しさを持てるようになれたらいいな
と思ったセルフセッションでした。

そういえば、わたしが大好きな、レッサーパンダのレン君ですが、
彼をいつも見るたびに、他のレッサーパンダよりも多く
毛繕いをしてるんですよ。
マニアックになりますが、彼がかわいい、かっこいい、ってわたしがいう原点には、
レン君の美しさに感動するんですね。
鏡はなくとも、自分は美しいと思っているその姿には
もはやナルシシズムすら感じるのですがw
おそらく、そんなナルシストであろうレン君(妄想ですけどw)
彼の瞳の美しさ、キラキラしてるかんじのみならず
毛並みの美しさに風格を感じるんですが
それには日頃のお手入れの努力があるんだなとおもうと
(それくらいわたしが行くと年中毛並みを気にしていますw)
レン君を見習わなきゃなあと思いつつ、
また来月、うるわしの美しいレン君に会いに
福岡まで行ってきます♪

最後までご覧いただきありがとうございます。
光の錬金術師れいあ
Posted by光の錬金術師れいあ