花魔女★れいあ

花魔女★れいあ

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はい、れいあです。

ヒーリングやセラピーに出会って15年以上の月日がたちます。

わたしはもともとパニック障害をもっていたので
メンタルクリニックへ10年間通い続けていました。

しかし、どんなに薬を飲んでも、
苦しみはなくならなかった。

心と体について、思考と感情について
わたしはその違いも区別もわからなかった。

薬はわたしを救うと信じていた。
その副作用で、起き上がれない日々が続き、
アカシジアといって、神経的な
いてもたってもいられないソワソワ感は
薬をやめてからもずっと続いた。
アカシジアの苦しみは、
向精神薬を飲んだ経験がなければわからないだろうと思う。
しかし心の苦しみはそれ以上にあった。

10年以上薬を飲み続けても、
いっこうになくならない心の苦しさや空虚感があった。
わたしはそれでもなお生きる意味を探し続けた。
一方で一生薬を飲み続けないといけないのだろうかとも
思い悩んでいた。

薬は、やめてから気づいたけど、
わたしにとって思考を停止することで
現実逃避にもっていかせるにはちょうどよかった。
当時のわたしは薬がないと、いつ衝動的になにをするかわからなかった。
コントロールという概念がなかったのだ。

だけど現実を生きていくために、
いつかは見なければならないこともある。
こわいけど、でも、どうしたら、
現実に向き合えるのか。
向き合いそうになると、いつもわたしは自分の記憶を失わさせてばかりで
当時のわたしは、何故記憶を失うのかが理解できずにいた。
今思えば、防衛のためだったとわかるんだけど、
以前はちょっとしたことで傷ついてばかりいた。
今も傷つきやすいけど、昔よりはかなりよくなったかな。

こんなふうにヒーリングを長くやっていても
やはり現実に向きあうのが怖いことも多々ある。
だけどわたしはスピリチュアルの世界に逃げ込むことだけはしたくなかった。
だからこそスピリチュアル的なことを信じないように意図的にしてきた部分もある。
わたしはわたしの弱さを知っている。
スピリチュアルの世界に甘さを見つけたら、そこに逃避してしまう怖さがあったのだ。
だからこそ、スピリチュアルに逃げたなという感じの人は
自分が危ういと感じていたからこそ、においでそれがわかる。

一方で、実際にセラピスト、ヒーラーとなり、セッションをやっていくと
どうしてもスピリチュアルになってしまうこともよくある。
それ以外に説明がつかないというか、そういうふうにお客さんの上の存在が伝えてきたりとか。
わたしは自らサイキックな体験を何度もするようになると、
スピリチュアルは、否定しなくなっていった。
一方スピリチュアルという目に見えない世界の怖さも
スピリチュアルエマージェンシーで体験してきたので
それこそスピリチュアルの世界に「逃避した」人については
前以上にはっきりとわかるようになっていった。

わたしはお客さんに対しては、スピリチュアルの世界に逃げたりさせたくないんだ。
しっかり現実を見て、自分を受け入れてほしいと思っている。
だから、そのためにわたしには、どんなサポートができるんだろうと、いつも思うんだ。

その昔、わたしは、メンタルクリニックに通っていたとき、
自分は、どんなクスリが出たのか、
自分はどんな症状があるのか、
その原因をさぐるべく心理学や精神医学を学んだ。

わたしの心の形

それを知りたかった。
わたしは、わたしを知りたかった。

思えば、その頃から、手探りで
自己探求の旅をはじめていた。
心の病にかからなければ、自己探求には興味がなかったかもしれない。

結果、わたしのいまの苦しみの原因は、親にあるとわかった。
わたしは親に対して憎しみがかなりあった。
いま、こんなふうに苦しいのは、親のせいだと思った。
いまは「毒親」といわれ、
当時は「アダルトチルドレン」なんかが流行った。
その前には「母原病」なる言葉があったそうだ。

時代を越えても、生まれてきて「親を越える」っていうことが人間の学びなのかもしれない。
そんなことを最近思うようになった。
そして「親はやはり越えられない」という敬意や感謝の気持ちをも学ぶのが人生なんだろうなとも思う。
親を越えようとする、そのプロセスで何を学ぶかはもちろん人それぞれだ。

やがて2000年代に入り、わたしはアロマやフラワーエッセンスをはじめる。
あっていたからか、楽になり、不思議に感じていた。

なぜ薬よりきくんだろう?
なぜ、メンタルクリニックは存在するのか。
そもそも、心の病ってなんなんだ?
病名はわかる。
だけど、目に見えないことをカテゴライズなんて、自分以外の人間が正確にできるものなのだろうか?
そうやってわたしは現代医療に対する不信感が芽生え始めてきた。
そしてホリスティック医療への興味がどんどん沸いていったのだ。
わたしは医療は否定していない。
ただ医療を「信仰」することは否定している。
なぜならば医学的に証明できない奇跡がそれなりにあるからだ。
医療と癒しの共生ができたらいいんだけどなぁと今でも思う。

そんな気持ちでわたしはフラワーエッセンスをいつもとっていたんだ。

そしてわたしはやはり、
様々な問題を掘り下げていくと殆ど両親のことにいきついていった。

たとえば、わたしは、食事のときの、いただきます、ご馳走さま、
外出するときのいってきます、ただいま、
ありがとう、ごめんなさい、
そんな言葉がまったくない家庭に育った。

だから、ありがとう、という気持ちがわからなかった。
ものをもらったときに言う言葉だと思っていた。

以前にも記事にしたけど、音楽友達に
れいあちゃんに出会えて良かった、ありがとう
っていわれたとき
何故わたしは、ありがとうといわれるのかわからなかった。
もう社会経験もあったけど、わからなかったんだよね。

いま、わたしはセッションとかやってるけど、
一番のエッセンスって、言葉を通してのコミュニケーションなんだよ。
もっといえばエッセンスなんていらないんだよ。
ってくらい、人のコミュニケーションからの言葉や愛の気持ちは
相手を癒すんだ。
だけど一方でストレスにもなる。
でもそのストレスの本質に気づき、解放していくと、それは学びとなっていく。

わたしは、いまだに親に愛はあるのかと思うくらいに愛を感じにくい。
キャッチをしようと努力してきたけどね。
そしてわたしなりの愛というか感謝も伝えてきたつもり。

先ほど話したけど、うちにはありがとうって言葉がなかった。
あいさつをすると、頭がおかしいといわれる。
おはよう、おやすみ、これだけでさえ、発言すると、おかしいといわれる。

そんな家で育ったわたしは以前は親のせいにばかりしていた。
親がかわればわたしも変わると信じていたし、
なぜあの親から生まれてきたのか、
グラウンディング以外にわからない。

祖父が昔わたしが2歳くらいのときのわたしのビデオを見せてもらうと、
「わたしにはパパもママもいないの。
いまそこにいる人たちは本当のパパとママじゃないの。
本当のパパとママは、お月さまの向こうにいるの」
2歳の子供がこんなこというのか。。
てか、それわたしの発言だけど。
わたしは変な話、昔は、月とか他の星からきたと思っていたんだよね。

やがて、心理学を学び、両親に原因があることはわかった。

でも、変えられない事実をどうしてよいかわからなかった。
原因なんていいんだ、わたしは、このやり場のない怒りや悲しみをなんとかしたい。

そんなときフラワーエッセンスと出会った。

飲むと楽になったけど、エッセンスにお金をかけて、
わたしは、どうしたいのか、どうなりたいのかがわからなくなっていった。
わたしが変わることに意味を見出せなかった。

両親がいけないのに、なんでわたしがお金かけてまでして自分を変えないといけないの?
親が変わるべきなのに!
そう思っていた。

そこには、明らかにわたしの、被害者意識があるわけだけど
癒すべきはわたしの被害者意識なんだよね。
でも、気づかなかったんだよ、昔は。

何故、わたしをめちゃくちゃにした人が変わらずに、
わたしが自分のお金を使ってまで自分を癒さないといけないの?
何故そんなにわたしが変わらなきゃいけないの?

そんな思いが時折よぎり、ヒーリングをしなくなった。
わたしは、ヒーリングをすることに疲れてしまったのだ。

「気づかなければよかった」
そう後悔したりもした。

「何故、わたしだけが」
そんな気持ちによくかられたのだ。

だけど、親が少しだけ変わったりもした。
わたしが変わるとまわりも変わるのか。
そう思った。
それが不思議だった。

だけど、しばらくし、みていると、親の変化も限界なのかなというふうになっていった。

いつのまにか、わたしはこう思っていた。

「気づかない人は、気づかない理由がある」と。
気づきたくない人たちは、(経験から)学びたくない人たちなのだろうと。
病気や痛みがあっても、根本の原因を見ずにいるケースと同じだ。
疾病利得みたいなもので、気づかないほうがいいと、無意識に逃げているのだろう、と。

やがてわたしは自分に集中したくなっていった。
自分を掘り下げていき、探求した先にあるもの、
それは、自分の本質でリラックスして生きることだった。

自分の軸がわかり、本質を知り、
それを邪魔する自らの制限となる感情や思い込みをみつけて解放していくことは
他者との境界線を明確にすることになり、
自分を保護していくことで
自分の人生を生きていきたいと。

これまでわたしは、親や他者の人生を生きていることに気づいていった。

わたしは、覚醒や、目覚めることには興味がなかったし、今もない。
それよりわたしは、苦しみからの脱却が優先だった。

結果として、わたしは自らを掘り下げて解放、浄化をし、自分を癒していった結果、
自分として生きる喜びを知ることができた。
これが人生ってもんなんだね。

心の病から、かなりたつけど、
一時は、治らないものと思っていたけど
わたしは自分をどこかで信じていたのだなと思った。

ヒーリングを学ぶと特に、誰かを癒したくなったり、
誰かを気づかせてあげたくなったりする。

だけどそういう優しい気持ちは、ちょっと心の奥にしまって、
まずは自分の癒しに専念して欲しい。

多くが自分軸からはずれていて、そういうときに
ヒーリングをした相手がよくなったりして喜ばれると確かに凄く嬉しいのだけど
それって、すごく救世主症候群に陥りやすいパターンなんだよね。
ヒーリングを通じて、エネルギーが交流するので、
きちんと自分が癒されないままでいると、相手にネガティヴな影響を与えてしまうパターンもあるからです。

ある程度癒されていて、グラウンディングもできて、自分軸もしっかりしてきたら
過剰に誰かを癒したいという気持ちや衝動はひいてくると思います。


気づく人は、気づく。
気づきたくない人もいる。

そこは自由意志になってくることを
やがて学んでいくと思います。

まずは自分のことに集中していくこと。
自分が、ひとつの存在として自立できたとき、
初めて、誰かに手を差し伸べられます。
そうじゃないと、共倒れになっちゃいますからね。

はじめは、自分の幸せばかり考えるのってどうなの?なんて思っていましたが、
気づいて、学んでいくと、
まず、自分が幸せになることの重要性がわかってくるのです。

まず、自分が幸せになる

その本来の意味を理解して、自分癒しをしっかりしていってくださいね。


最後までご覧いただきありがとうございました。
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