花魔女★れいあ

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はい、れいあです。

今回新たに購入した音叉とエッセンスについてご紹介です。

今回はカバラ寄りの音叉をまずは2本購入しました。
前々から気になっていたものでもありました。

実際にわたしがセッションで使用するときはダウジングで使いなさいと指示が来たときのみですが
こちらカバラについて絡んでくるものなので 
カバラ理論の説明をしていきますね(今回生命の樹 セフィロトについては出てきません)

ヤコブの梯子(Jacobs Ladder)という言葉を知っていますか?
これはキリスト教の概念なのですが
旧約聖書の創世記28章12節でヤコブが夢に見た、

「天使が上り下りしている、天から地まで至る梯子、あるいは階段」

とWikipediaにはあります。
カバラ理論においては

「人間が神へと近づく(天界へとのぼっていく)道であり、生命の樹の象徴の一つ」

とされています。

今回の音叉はこれに関連するものです。

一つ目の音叉は

”I AM THAT I AM”

というものなのですが
日本語にすれば

「わたしはわたし」

という意味あいですよね。

では「わたし」って誰なのでしょうか?

あなたは誰ですか?

よくセッションにおいては

「本当のわたし」

「本当の自分」

についてがキーになりますが
これは自分だと認識している存在の中にある真実でもあり、本質でもあるのだろうとわたしは思っています。

”自己の本質”とはいわゆる

「あるがまま」

だったり

「光」

と表現することもあるかもしれません。

間違えられやすいのですが、あるがままとはエゴの自分ではありません。
「わたしはこのままでいいんだ」という意味合いは
ある意味あるがままと勘違いしてしまう部分も多く
自分勝手に生きていいんだ
みたいな風潮も一部ありました。
ありのままの~♪が流行ったこともあり一般化されすぎて
勘違いする人も多くなってきたこともあるのでしょうね。

たとえばエゴをエゴと気づかない状態だったり
それでもいいやと問題に向き合うこともなく麻痺させている人も中には多いです。
でも気づかないと、と問題に向き合い、自分というものの本質に近づこうと
目覚めている人が一方で増えてきてもいますが
絶対数としては少ないような気もします。

以下はわたしの解釈が多く入ってくるので知りたい方はいろいろ調べてほしいんですが
わたしの中の思想でいえば、いわゆるこの

「I AM THAT I AM」

というものと

般若心経(大乗仏教)でいうところの

「空」

というものは同じなんではないかと思うのです。

般若心経の「色即是空」の概念は

本当は何も存在していない

という意味合いでありますが、これは
ニーチェのニヒリズム的なもの(虚無主義=すべての価値を一切認めない。物事の意義や目的といったものは存在しない)
とは全く違うものです。

これは「色即是空」と「空即是色」がセットとして扱われているところにヒントがあるように思っています。

「空即是色」とは

なにもない所に、意味を見出そうと見ていくと、それが現実となる

という意味になるかと思います。
(勉強不足なところもあるのと解釈が様々なので違うっていう方がおられてもそれもまたありかと思う)

ちょっと変なたとえになっちゃうけど、
怪しいと思ったり疑いをもって、そこにある体験を思うほどに
怪しいとおもって疑う心は「やっぱり○○だったんだ・・・」と現実化してしまうものだと思うのです。
いってみればそんなかんじのことが「空即是色」になるかな。
いわゆるそういった「疑いの心」が「煩悩」であり、煩悩は「念」のエネルギーを生み出すこともあります。

「念」のエネルギーはどこから発生するかといえば「感情」からです。
その感情の源となるところには、「思考」や「思い込み」といったものもあります。
くりかえしの感情的な刷り込みが思考や思い込みを作りやすいのは皆様も経験があるかと思います。

その思考や思い込みといったもので現世で思い出せないけどなんだろう?というとき
「過去からの持ち越し」ということもあります。
これが「カルマ」といわれるものの正体です。

お釈迦さまは、人間の抱える苦しみについて

「苦しみというものには実体がない」

と唱えました。

煩悩(ネガティブ)を解放(リリース)し浄化(クリアリング)していけば本質(空)に近づくので楽に生きられるよ

という意味なんではないかなとわたしは理解しています。

わたしの中では「色即是空」とは「何もない」という意味合いはEmptyではなく
神と同一であったと仮定するのであれば
般若心経は宇宙的なものでもあるので、 空は一体となった
「すべて」
でもあり、
宇宙(創造主)
であるという解釈になります。
いってみれば「空」とは「本質」のことをさすわけです。
つまりこれは

「創造性の世界」

ともとれるのではないかと思うのです。

目に見える現象として起こり得るすべては
人間の集合意識を含めた潜在意識からの具現化の結果なのです。

それは目に見えて起きたことはあくまでも結果論であって
潜在意識(集合意識を含む=過去生やカルマ、業という概念を含む)という
「原因」
があるからこその結果だという
「現実」を作っているということになります。
お釈迦様はこれを「縁起」といいました。
また、すべての事象は、必ずある原因によって起こり、原因なしには何ごとも起こらないという原理を

「因果律」

ともいいます。

魂のレベルでは輪廻転生をくりかえすことにより、
先ほども書いたけど過去の思いこみや感情などのクセなどが
潜在意識的に、インナーチャイルドを越えて
全体性の中の「個」の存在(魂やオーラを含めた)の中に内包されているかんじが
セッションをしているとよく起きてくることでもあります。

わたしの中でのニューエイジ的でいうところの「Oneness」という発想と

I AM THAT I AM

というものと



というものはほぼ同じと考えています。

これがいわゆる自己の本質であり、真実であり、
わたしたちが、そこを目指して生きていくために
余分な思考や感情をそぎ落として
「あるがまま」
で生きていくと楽だよ
ということがいまのスピリチュアルの原理ではないかと思います。

その中でどうやって生きていくのかというと、そこで
「愛」
というエネルギー的な量子場が発生するのではないかというものがわたしの概念です。

ちなみに、わたしのダウジングでは、わたしの場合は般若心経を唱えたりするのはやめるようにいわれています。
それは般若心経はエネルギー的に霊が心地よいと感じるため、色々呼びやすいといわれました。
同じ意味で、写経をするなども、きちんとそのあとまでできる人(僧侶など)のもとで正しく行いなさいといわれました。
シンギングボールを買わずにクリスタルボウルにしているのも同様の理由です。
もちろん、必要な人もいますので、
その人にあっているかのエネルギーチェックは必要だと思います。
いくらよいものだと信じていても、その人のエネルギーにあわないで続けているのはちょっと違いますからね。

2本目の音叉は「アダムカドモン(AK)」
聞きなれない言葉かもしれません。

アダムカドモン(Adam Kadmon)とは「原初の人間」とされています。
カバラの概念において原初の人間とは極めて神に近かったといわれています。

アダムとイブの時代、
この時代は、これもわたしの概念になってしまうのだけど
女性性も男性性も同じだった二元性のない時代というふうにとらえていいのではないかと思うのです。
陰も陽もこのときにはなかったのではないかとわたしはとらえています。
(ちなみにこれらの時代的なものには「次元」という概念は取り除いて考えたほうがわかりやすいかと思います)
つまりエデンの園は5次元という感じの解釈をわたしはしています。
人間を神に背かせようとする蛇に初めにイヴが、その次にイヴの勧めでアダムが知恵の樹の実を食べたことによって、
善悪の知識を得たアダムとイヴは、(→これが陰陽、二元性の発生という考えをわたしはしています)
裸の姿を恥ずかしいと思うようになり、イチジクの葉で陰部を隠した。

というかんじで、

神のコピー=原初の人間=エデンの園=5次元=物質次元(3次元)を越えている

というのが自己の本質だと私はとらえています。
これがいわゆるカバラでいうところの「アダムカドモン」だと理解しています。

余談ですが
わたしの女性性と男性性のとらえ方と
いわゆる「女神性」というのは
わたし的に理解がむつかしかったのですが
カバラの発想を思うと、ここらにヒントがあるのでは?
と最近思うようになってきました。

つまり原初の神と同一だった時代、これが「女神性」かなと思うようになりました。
地母神とかね。
人間ではないけど、きわめて神に近い。
それはアーキタイプ(元型)でもあり「女性原理」そのものなのだろうなとも思っています。
これとは別に物質次元に近いところに男性性・女性性があるのかなと。
女神性については、以前よりはまとまりつつあるのですが文章にしにくいので
文章にできたときに書いていきたいと思います。

そしてアダムカドモン(AK)とは

「完全な存在」

であり、

「至福に満たされた魂の合一体」

のことをさします。

エデンの園でリンゴを食べてしまい、知恵がついたため文明が発展したのかなと思いますが
一方で人類は文明を持つようになり貨幣経済になってきたら今度は霊質が落ちてきたというのがカバラ的発想です。

でもね、今や人間はお金がないと生きていけなくなってしまいました。
肉体を手にし、物質界に生きているという状態なのです。

そこでカバラ的解釈であればヤコブの梯子というのは
創造主がいて、そこに物質世界から(精神的に)
自分という存在は神(宇宙・創造主など)の一部であると気づき、
そこに近づくよう成長していくというものです。

カバラの理論では、この世界は四つの世界によって構成されているとしている。
それは「創造の4世界」ともいわれている。

アッシャー Assiah 界(現実界)=Earth

イェツィラー Yetzirah 界(形成の世界で天使の階級によって支配される)=Air

ブリアー Beria 界(創造の世界)=Water

アツィルト Atziluth 界(元型・全ての始まり)=Fire



これらの重なり合う創造の四世界が神が示している世界とされていて
ステージをこなしていき成長し
アダムカドモンの意識に近づいていこうというわけですね。

わたしたちが誰か他と接するとき
わたしたちという個の存在があります。
しかし人とのつながりを感じられるようになるためには
自分がある程度解放されていないといけません。

こういうことを考えるきっかけになったのは、わたしの昨年からのテーマは、

「神との分離」

だからでもあります。

本来、わたしと他の人はすべて同じであったはずなのです。
それは神のホログラフィとしてわたしたちは存在しているからです。
お互いを補いあい、わたしたちはアダムカドモン(ひとつの存在)へと向かおうとしているというのがカバラ的思想です。

I AM THAT I AM ということは
私たちはそれぞれが神であるという本質に気づくこと。
そこに気づき神と一体になる瞬間(高次の意識の実現)と共振させる音叉がI AM THAT I AMです。

そんなこともあり、アダムカドモンとI AM THAT I AMは気になっていた音叉でもありました。

そんなわけでそろそろ今回新しく仲間入りしたエッセンスのご紹介を。
ジャカランダ(フローラコロナ)

『変容』
自己意識とコミュニケーションを図るために、自然要素的な力への入り口の働きをしてくれます。
この新しい情報をリリースさせて、変容を起こし、可能性を開花させます。
そして、無意識下に眠る聖なる女神性に気づかせます。

ジャカランダはブッシュにもありますね。
ブッシュのほうは優柔不断な人のためのエッセンスですので使うものが違ってきます。

シードオブライフ(フローラコロナ/ジオフローラウォーター)


『植物の胚を運ぶ組織』
新しく何かに取り組み始めるときに、明晰さと集中力とともに、アイディアの種を豊富に授けてくれるでしょう。
土の中の種が成長に必要な情報全てを持っているように、肉体とオーラ体を、あなた固有の星の種族につなげて、あなた本来のパターンを思い出させてくれるでしょう。
この星の種は、太陽の光とハートの暖かさを受け取って発芽し、内側にあるコアな波動を体の中で活性化します。

チェリーブロッサム(チャリスウェル)
『クレンジング』
美しい桜の花は、母親のような愛で満たしエネルギーフィールドを浄化してくれます。
心配事や心の重荷、不要になったものを洗い流して澄んだきらめきと明るさ、安らかさを残します。

このほかビーエッセンスのスプレータイプを購入しました。

実はエッセンスはわたしのために最初買ったんだけど
ダウジングで「これはセッションで使います。あなたには関係ない」とされたので
せっかく買ったのだしダウジングでちゃんと選ばれてほしいなぁ・・・・(3次元的思考ですがw)

これらを使う機会がきましたら、そのときはよろしくお願いいたします☆彡

単にエッセンスと音叉の解説にしようかと思ったのですが
思わずわたしの世界観を長く語ってしまいましたww

最後までご覧くださりありがとうございました!