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わたしの”セッション”とは?!  【セッションのご感想より】

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はい、れいあです。

 先程ネットニュースを見ていたら芦田愛菜ちゃんの質問力のすごさについて
いまやお笑い界から作家になった又吉直樹さんが言っていたと報じられていた。
愛菜ちゃんは小学低学年で年間300冊を読破したそうで
夏目漱石『吾輩は猫である』や
アガサ・クリスティ『オリエント急行殺人事件』といった古典から東野圭吾までに至るらしい。
そんな彼女の父親も読書家なんだそうだ。
又吉さんとの対面で彼女は、本を書いてみたいという内容があったが、
しかし起承転結にはならず起承承結になることを話していたそう。

「質問力」というと、まず、わたしはインタビューを思い出す。
わたしがエディタースクールに通っていた当時、校正などの出版の基本を学んでいたんだけど
インタビューのとりかたを教えられ、
自分で校正、編集をし、インタビューをし、記事にしたものを冊子にするという内容の授業があった。
インタビューは、大学時代の友達に頼み、後でテープ起こしをしていったけど
友達とはいえ、いざインタビューとなると
いったいなにをどう質問してよいかわからなくなった。
友達でさえ、だ。

 これを思い出した私は、ダウジングでヒントを教えてほしいと頼むと本棚の前にわたしを連れていき

「感情」

という言葉を示してきた。

感情?

そして次に別の媒体で

「共感」

という言葉を伝えてきた。

チャクラのヒントは?ときくと

「スロートチャクラ」

ああ、わからなくもない・・・(でもよくわからないw)

 先日、セラピストでセッションを将来していきたいというお客さんのセッションをした。
そのとき、お客さんの意外な言葉がセッションのテーマになっていった。
それは、、

「れいあさんのセッションは、感情を丁寧に扱う。
わたしもそういうセッションがしていきたい」

とおっしゃったときにダウジングがまわった。
どうやらわたしのセッションにお客さんがセッションをしていくヒントがあるようだった。
しかしわたしはこのお客さんの言葉を聞いて、わたし自身すごく新鮮に感じ、かつ驚いた。
なぜならわたしは自分のセッションを客観的に捉えたことがなく、
セッション中はとくに集中力が勝負なのと常にダウジングにまかせることが多いため
自分がこのセッションをどうしたいという気持ちは特になく、ただただ

「お客さんが幸せになるためにスピリットたちにお願いをする」

ということだけだからだ。

実は、ここでも書いたけど、昨年の11月に色々内面の変容があり、
様々なセッションのやり方を経て12月から内面的にセッションを変えていきました。

これまでわたしはJophiel(ジョフィエル)の存在にセッションのみならず
日常の様々な戸惑いや躊躇にもこたえてもらい
そのすべてを目に見えないスピリットに任せていたんです。

でもわたしは過去のSpiritual Emergencyから
ジョフィエルに、いつか繋がれなくなる日がくることもあると思い、
そうなったらわたしはもうセッションができなくなると悩みました。

ジョフィエルという目に見えないスピリットにわたしはお願いすることでこれまでうまくいっていたけど

「ジョフィエルにつながれなくなったら、わたしはもうセッションができなくなる」

という考えに怯えていました。

「お客さんもわたしを通してジョフィエルのメッセージをききたくて来ているのだろう。
だとしたらわたしという存在がいる意味などないのではないか?
わたしのセッションになってしまったらお客さんは来なくなってしまうんじゃないか?
ジョフィエルのセッションではないならもうわたしは必要ないんだろう。
きっとわたしはもう人生の役目を果たし終えたのかも。。。」

とまで考え始めた。

____わたしは「わたしである」ことの意味を考えていた。

しかし、そのとき、いくつか別のスピリットがきていて
彼らは「錬金術を得意とする」といってきていた。
それがどんなものだかわたしにはわからない。
だけどわたしのセッションでお客さんに対してヒーリングをする形で気づかせやすくするため
この先錬金術をしていくといわれていた。
いま60分のセッションだからその時間では錬金術は終わらないから時間についてはまかせてくれと。
「あなたのセッションはこれから変わる」といわれました。

 これまでジョフィエルに任せていたセッションが変わろうとしていたそのプロセスとして起きたことでした。
しかしジョフィエルになれたわたしは納得いきませんでした。
わたしはジョフィエルに任せきっていたけれど、魂のレベルでは
”ジョフィエルとともにわたしのセッションの形態を作っていった”という思いが強くあったからです。
わたしはジョフィエルと二人で作り上げたセッションを変えるのが怖かった。
それはジョフィエルを失うことにおびえていたからです。
だからわたしは土足で入られた気持ちになりました。

セッションやフェイシャルをしている空間は、わたしにとっての「聖なる場所」であり、パワースポットなのです。

わたしがわたしの家以上に「わたし」でいられる場所。
セッションを通じて「愛への帰還」ができる「聖域(Sanctuary)」なのです。

だから、わたしの中にある繊細なスペースと
これまでジョフィエルと共に築いてきたセッションを汚されたような気持ちになりました。
それが、たとえお客さんのために錬金術をするといわれても
わたしは感覚的に彼らを受け付けたくありませんでした。

そんな反抗をするわたしに対して彼らはかなり暴力的な言葉を投げかけてきたり荒ぶっていましたが(実は今でもいるんですが・・・)
わたしには、セッションやフェイシャルをしている「空間」がとても大切です。
だから彼らに対して、このSacredなSpaceで怒ることが嫌でした。
わたしの中にあるネガティヴな感情を、セッションやフェイシャルをするスペースに入れたくないんです。

セッションやフェイシャルをするスペースは、わたしにとっての心であり、魂でもある聖域なのです。

でもそんなわたしをわかっていて、彼らはわざとわたしを怒らせるようなことを言ったりしたりしてくるのです。

彼らによる錬金術のセッションを数回ほど行いました。
お客さんからの反応もあり、好評ではありました。
でも、なんというか、それは「わたしのセッション」ではない。。と感じました。
確かに錬金術的な変容が必要だろうというときもあったりするんですが
アプローチがわたしのエネルギー感覚にあっていない。
いくらお客さんがよりよくなってほしいとは思ってはいるけど
やはりそこに「わたし」が行うセッションであるかどうかが大切なような気がしていました。
これまでジョフィエルが行っていたセッションであって、わたしのセッションではないと思っていたのだけど
次に「ジョフィエルと作り上げたセッション」という認識に変わっていき、
わたしはわたしのセッションをしているのだろうか?
もしそうでないならば、わたしは「わたしのセッション」がしたい!
という気持ちへと移行していきました。

そこでわたしは、ダウジングをしない普通のカウンセリングに切り替えていこうと考えました。
そしてセッションをしました。
だけど、やはりセッションは対価が発生するわけです。
わたしはセッションをカウンセリングメインにしたとき、どんな質問をしていいのかわからなくなり、
なにも引き出せずにいて、戸惑いました。
「このままじゃ、お客さんに迷惑がかかるから、やっぱりお願い!」
とジョフィエルにお願いをし、彼女にセッションをお願いしました。

そしてその後のセッションも、カウンセリングの質問で悩み、
とうとう自分で禁じたダウジングを再投入しました。

ああ、これがないと、わたしはだめだ、、、

ダウジングというツールを使うと、それはまるでお守りのように
メッセージとか言葉が「入ってくる」かんじになるのです。
お客さんにどのタイミングで声をかけたら最善を引き出せるのかを教えてくれる。

ダウジングはわたしを目に見えない世界へとつなげてくれるツールなんです。
通常のダウジングと違い、わたしはかなりサイキックなダウジングなんだと
最近ようやく自覚するようになりました。

ジョフィエルがいたときは、ジョフィエルがわたしに完全にシンクロしてくれていたので
ホワイトボードに何を書くか、どんな質問をするか、ペンデュラムがなくとも彼女がしてくれていたんです。

しかし、わたしはジョフィエルがいなくなったときのことを考えるといてもたってもいられなくなりました。
わたしにはそれくらいジョフィエルとは二人三脚というか二人羽織というか(笑)
そんなかんじでいつもそばにいて元気づけてくれるお姉さんのようなお母さんのような、友達のような
そんな頼もしい存在でした。
わたしにとっての天使であり、だけど女神っぽくもあり、とても強く頼れる目に見えない存在だったのです。

お客さんの上のメッセージをジョフィエルを通じて伝えてもらってる

ジョフィエルはお客さんのハイヤーよりも上の存在につながり、
お客さんの「宇宙での役割」についてを伝えてきてくれていました。
いまはこれをジョフィエルではなくダウジングに降ろしているかんじです。
ダウジングはペンデュラムを通じて高次につながることで、メッセージを降ろしているかんじになるんです。

わたしは昨年よくジョフィエルに
「なんでわたし(を選んできた)なの?
ほかにもたくさんセッションしてる人がいるのに。
わたしじゃなくてもよかったんじゃない?」

そういうとジョフィエルといつも喧嘩になりました。
ジョフィエルは悲しみ、わたしに怒りをぶつけてきました。
でも、わたしはわたしの必要性がわからなかったのです。
そんなときジョフィエルはいいました。

「あなたはそんなふうに、自分がないからこそ セッションでそれを活かせるのよ」

わたしがセッションにおいて誘導尋問のように、恣意的に質問をしないのは、恣意的にできないからです。
また、自分の経験などを話すときは、タイミングなどを上にきいています。

わたしは楽しみながら仕事をしている、だけど、
わたしじゃなくても他にもたくさんセッションされてる方がいるし、
なぜジョフィエルがわたしのサポートをしているのかがわかりませんでした。
もしかしてジョフィエルはわたしという人間を征服(?)して、セッションをサポートすることで、地球制服をもくろむ何かのスパイかも!
とかね、もういろいろと考えてしまっていたのですよ。
そしてわたしは生まれてきた意味がわからなくなって鬱症状になりました。
何故わたしは生きているのかと考えるようになりました。
それが昨年11月のことです。

わたしはセッションで質問する、その「一言」が
お客さんの潜在意識にどう影響を与え
どんなことが思いつくかにより
人生に対する視点はいとも簡単に変わってしまうことを知っています。
これは「奇跡」のように思うこともあるかもしれません。
だから奇跡を起こせるのはセラピストやヒーラーの技量なのだと思っています。
セッションで奇跡を起こせるようなセラピストになるために経験を積む日々を送っています。

先日のセッションにて、わたしの感情の扱いについてが出たとき
お客さんに質問力がすごくあること、それを活かしたセッションをするとよいとそのセッションで出たんですね。
お客さんのセッションの仕方について、質問のときの感覚や直観からの声をきく能力についてなど
それらがお客さんから引き出されていったとき
わたしは、ああ、これが、セッションの違いなんだなとようやく腑に落ちました。

お客さんに対してする質問は、わたし自身の力や思考からだと
お客さんの潜在意識をうまく引き出せないことも今回のスピリチュアルエマージェンシーで経験したことです。
直観とか感情とか共感力とかそんなものがつながって質問力につながっていくのだなと思わさせられました。

そんなお客様から感想をいただきました。

れいあ様

こんにちは!
昨日はセッション、そしてレポートありがとうございました♡
行くのが毎回楽しみになっています♪

自分を知るきっかけになったり、
自分の方向性が見えて来るのが嬉しいです。

感情と向き合う作業も、
嘘偽りない自分をさらけ出せる場所が、私にとってはれいあさんのセッションです。

さらけ出した後、自分に自信が持てることに繋がるので、
日常に戻ってセッションを思い返しながら自分を大切にしようと思えています。

私自身が、全てをさらけ出せる場所が出来た事がとても嬉しくて、
セッションを受ける毎に自信が持てたりした経験から、
さらけ出せる場所=れいあさんを目指したいと思った根底にあるのかもしれません。

だから、私自身がもっと解放してさらけ出せしていく必要があるのだなぁとまた書いていて感じています。

今回セッションで出た、
お客様に今の自分でいいんだ、と思ってもらえるようなセッション=自信を持ってもらえるようなセッション、
という事かと腑に落ちました。

解放される感覚を感じ尽くしてこようと思います。

私のセッション、質問力についての気づきが嬉しく自信に繋がります。
私を育て、セッションを育てていけるように、
アファメーションを唱えながらエッセンスと共に日々過ごしていきます。

感想長くなりました。
また次回も楽しみにしています♪

いつもありがとうございます😊♡



同じセッションをするという目的をもっていても、人それぞれで能力のジャンルが違うんです。
自分を知るほどに、自分はどんな面がよくて、どこをよくしたらよいのかを知るわけです。
そんなこんなをわたしもこのセッションから学びました。
これは、人との違いを認める作業でもあり、人を受け入れるということでもあるのだなぁということを。

わたしはセッションで、お客さんが何もお話しないとき、
よくダウジングで反応します。
それは、お客さんのなんらかのエネルギーが動くときのお知らせです。

普通、ダウジングはイエスかノーか、何パーセントそうなのか、などを求めていきますが
わたしの場合エネルギーに反応するので、
それは今思うことだけでなく、お客さんの上にいる存在が訴えるようにお客さん自身に伝えていることもかなりあります。
お客さんが上と繋がっているほど、それはすぐにセッションが深いテーマになりますし、
わたしはその時のテーマに対して、ただエッセンスを選んで調合するだけでなく
メインはお客さんがしっかり自分の上の存在からのメッセージを何らかの形でキャッチしていくことで、
自分の本当の声にアクセスしやすくしていける自分をつくること、
スピリチュアル的な自立ができるようになることを目指していっています。

スピリチュアルな自立は、分離ではないのです。
一方「自立しよう」「自立しなくちゃ」というマインドはわたしたちをすべからく「本当の自分自身」から分離しようとします。
マインドは人間として生きていくのに必要ですが、
ネガティヴマインドからの影響は感覚や感情にまで影響しボディにも影響していくんです。
そしてカルマは魂の傷です。
思いや考えの土台、感覚などでの苦しみとなってカルマはあらわれやすい気がしています。

わたしたちはボディ、マインド、スピリットの存在です。
スピリットだけでも、ボディだけでも違うのです。
それらのバランスが整ったとき、より崇高な愛を感じやすくなります。
トリニティのバランスはよりよく生きていくために大切なことでもあります。

それは自分のみだけでなく、他者とか、それこそ宇宙レベルを含めた
すべての愛を感じやすくあるのです。
それが悟り"Enlightenment(エンライトメント)"でもあるのだろうなとわたしは思っています。
自分に気づき始めた段階がAwakening(アウェイク二ング)なんだろうなと思うのです。

ちなみにわたしのセッションにいらっしゃる方は、
すでに「目覚め」の段階にいるか、
すでに目覚めてる方であることが多いです。
みなさんすでに目覚めてる方が多いのでわたしも成長に必死です(笑)

でもセッションにいらっしゃるのは悟りが目標ではなくて、
よりよく自分を生きることで、誰かを幸せにする
という生き方がみなさんのベースにあります。
自分として生きることが初めてできたとき、誰かをサポートすることができます。

自分だけ幸せになるなんてどうなの?
そう昔は思った時期もありました。
でも、自分がネガティブを解放できずにいると、エネルギーのよどみやゆがみが発生してしまう感覚があるのです。

あなたの幸せを祈っています(でもうらやましいな)
とか(笑)
もしくは自分より不幸そうに思う人を探して「ヒーリングごっこ」みたいにする人もいるかもしれません。
自分が本当に幸せだと感じていないと無意識のうちにそこに比較をして優劣をつけている場合が多いのです。
優劣をつけるのは本当の愛からではありません。
ある意味マウンティングみたいなものですからね。

こんなふうに自分が真の幸せを感じないでいるとそこになんらかのネガティヴなエネルギーがたまります。
自分が犠牲的な生き方をしている、被害者意識がある、自分を肯定できない、などをはじめとして
口では誰かのために生きるのが幸せといっていても
そのような生き方をしていくには、まず自分の中にある抑圧された感情を解放していく必要があります。

自分が解放され、幸せだという意識が芽生えると、
人間て不思議なもので、
自然と自分だけではなく他者のためにも生きようとするものなんです。

目覚めることで自分に気づき、より魂や上の存在とつながりを持つことで
自らの本質のバランスを保てるようにしていくこと。
それは真実の歓びであり、喜びでもあるのだとわたしは考えています。

最後までご覧いただきありがとうございました☆彡

スピリチュアル

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