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単線の思い出

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はい、れいあです。

前回の記事では、わたしが昔通ったお蕎麦屋さんについて書いていきました。
三重の友達からメールがきて「蕎麦テロ」と名付けられましたw

そういえば、大学時代の同級生でゼミもいっしょだった友達がいました。
よく家にとまりにいったりしてましたが、家がお蕎麦屋さんだったんだよね。
とまった翌日、ご両親が天せいろをだしてくれました。
天ぷらが揚げたてで、すごくおいしかったので、
天ぷらおいしいねと友達にいったら、
「フライヤーが温度調節できるのに変えたみたいだよ」
と実に現実的な答えが返ってきたので
なんか恥ずかしくなりましたw
そのコとは年賀状のやりとりのみ数年前までありましたが
お蕎麦屋さんのご主人であるお父様が亡くなられた連絡以降、連絡をとってません。
どうしてるかなあ。。

タイトルにある、単線。
わたしは東京生まれ、東京と神奈川育ちなんですが、
小学校低学年のとき、父親の仕事の関係で水戸のほうにいた時期がありました。

厳密にいうと、いまはひたちなか市になりましたが、昔は、勝田市だったところでした。
勝田の駅を降り、すぐ近くのビジネスホテルの上が社宅になっていて、
わたしにとって茨城での経験は、はじめてづくしでした。
社宅の上から見る花火大会の花火や、雷がすごいところで、よく停電してたなあ。

わたしは、いわゆる都会育ちなので、自然らしき自然は近所の公園くらいでした。
品川で育ちましたが、おじいちゃん(父方)が、よく大井埠頭までハゼ釣りに連れていってくれました。
大井埠頭までは自転車で15分でつきました。

茨城時代、勝田からは単線の那珂湊線という電車がありました。
いまでは「ひたちなか海浜鉄道湊線」というらしいです。
阿字ヶ浦という海によく連れて行ってもらいました。
大井埠頭も東京湾で、海ですが、
太平洋に面した海とは別物のように感じました。

そんなふうに、茨城での体験は自然との触れ合いがメインでした。
洗濯物を母が干すとカブトムシがとまったり、
近くの公園にヘビが出たり、、、

そんな茨城の思い出の中で、印象深いことがいくつかありました。
先程父親に話したら、覚えていませんでしたがw

ひとつ目は、勝田か那珂湊か、忘れましたが
暑い中、お店に入って食べた、そうめんが忘れられないのです。
そこが、蕎麦屋なのか、定食屋なのか、わからなかったけど、
なんかそこにいくといつも、そうめんをたべていたなあと。
店内は狭い方で、木でできた、小屋みたいな、薄暗い印象がありました。
情報がなさすぎて探偵ナイトスクープでもお手上げな案件だなあw
でも、冷麦ならまだあるけど、そうめんを出すところってなんであまりないのだろう。

それとセットで思い出されるのが単線の思い出なのです。

わたしは小さかったので、電車待ちが長いなと思っていました。
やはり暑い日で電車通過?を待っていると(多分、那珂湊駅かな)電車の窓の外(駅のホーム)から窓ごしで麦茶をサービスしていたのです。
駅で麦茶をサービスしてくれるのよ。
電車の窓から声かけて、麦茶を持った女性がやってきて、麦茶を渡してくれるの。
でも、わたしがのどが渇いたと欲しがっても、母は、しつけのために、
むやみやたらと欲しがるんじゃないといわれ、
結局飲むことはできませんでした。
麦茶をもらう他の人たちがうらやましく思ったものです。
大人になれば、麦茶がもらえるのだなと思いました。
早く大人になりたい、と思いました(^ ^)

でも、そんなこと本当にあったのか?
夢だったのか?
両親ともに覚えてないのよね。

あまりにも暑かったことが、麦茶と、そうめんと、単線がセットで思い出される茨城の夏でした。

で、これは単線とは関係ないんだけど
さらに小さな頃、3歳くらいの思い出。
前回の記事に少し、高尾のことを、書いたけど
高尾山、近年では、近場の山登りスポットとして有名になりつつありますね。

高尾山といえば、わたしにはふたつの思い出があり、
ひとつは、わたしは学校が町田市だったので、
八王子や高尾は、同級生が住んでいることが多かった。
もう一つが、2~3歳の頃、両親と祖父母で高尾山に行きました。
わたしは覚えてないんだけど、写真がたくさんあってね。
高尾山といえば、天狗と猿をわたしは思い出すのだけど
高尾山の天狗の大きなお面(薬王院だと思います)を見て、
失神して、さらに、あごを、あけっぱなしになり、
つまり、あごがはずれてしまって大変だったらしいのよね。

わたしは小さな頃からカンが強くて
色々なお寺でご祈祷を受けさせられた記憶があります。
境内で、太鼓の音が、しはじめると
当時からドラムやパーカッションがすきらしく
太鼓に近づき、お経にあわせて踊るなどして
祖父母に注意された記憶があります(笑)

高尾山は霊山として知られておりますが、
幼い頃のわたしは、なにかを感じたのか、
本当に天狗のお面のみに反応したのかわかりませんが
今となっては懐かしい思い出です。

高尾山は八王子に近いですが、
高校時代、わたしは横浜線を使っていました。
横浜線の八王子に近い駅に片倉駅や相原駅があるのですが、
この区間、高校に行く直前まで、単線だったと
片倉に当時住んでいた同級生が話してたなあ。
単線といえば、わたしの中では那珂湊線ですからね。
こっちにも単線があるのかと思いました。

八王子から相模原方面に行くと橋本駅があり、
いまでこそ京王線が都営新宿線に繋がって、千葉の本八幡まで走ってしばらくたちますが、
橋本から茅ヶ崎まで相模線という単線が走っていて
寒川神社とかがこちらでは有名なんですけどね
(宮山という駅ですが寒川という駅もあります。神社は宮山が近いです)
寒川神社は、江戸の裏鬼門とされていて、関東を守る神社でもあります。
だからなのか、八方除の神社として知られています。

寒川神社
http://samukawajinjya.jp/index.html

相模線は厚木や(本厚木と厚木は違う駅で、通常厚木とよぶときは大概、本厚木をさします)
海老名を走り上溝を抜け、橋本までの線となります。

神奈川には、さらに単線があり、
小田原から大雄山線というのがでています(伊豆箱根鉄道)
この大雄山線の終点、大雄山に
曹洞宗大雄山最乗寺というお寺があります。
曹洞宗は、福井にある大本山永平寺と、横浜鶴見の大本山総持寺(母方の祖父が眠っています)
そして、この大雄山最乗寺があります。

大雄山最乗寺は、またか!というかんじですが、
天狗がいます(笑)
天狗と大きい下駄があるお寺さんで有名なんですね。
ここも何度か足を運びましたが、さすがに失神せず、あごも外れませんでした(苦笑)

こんなかんじで前回記事より思い出が続きますが、
人生も折り返し地点なのでそろそろ人生振り返っておくか。と(笑)

しかし、冒頭で書いた麦茶とそうめんの思い出、
両親が忘れていたのが、ショックでしたわw

夏には阿字ヶ浦や大洗によく行きました。
それ以外の季節は、筑波山やちょっと足をのばして袋田の滝なんかで、
通常は普通に水戸あたりに母と弟といったりしてたな。

そうめんと麦茶の思い出は、いまだに、夢の中にいるかのような気持ちにさせます。

でも、そうめんはね、家でつくるときは、
わたしはごまだれ専門なんです。

毎年夏に書いてるような記憶がありますが、
宮崎の冷汁の魚ナシみたいなのをつくるんですね。
おじいちゃんがよく好きで食べていたのだけどね。
ゴマをすって、砂糖入れて、しょうゆとだしを加え、みそをいれて、水ときゅうりをいれます。

また、機会があったらレシピのせますね(気が向いたらね)

明日休みだから作ってみようかな。

以上、単線と天狗の思い出でしたw
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