in れいあ流生き方

正義とは、何か。

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はい、れいあです。

私たちは二元論の世界に住んでいます。
陰と陽。
男と女。
相反するエネルギーがこの世にはあります。

先日の講習でポジティブな言葉をあげるというものがありました。
わたしは愛をあげましたが、
さて、
愛の反対の言葉は?
となりました。

よく愛の反対の言葉は無関心だといいます。
マザーテレサがそういっていたとのことです。
愛の反対は憎しみだという人もいます。
怖れだとする人もいます。
わかりやすい二元論ではなく、
愛については、これだけの解釈があるのは何故なのでしょうか。
わたしは「愛情」の対義語は怖れかなと思うのですが
「愛」の対義語は、実のところ、この二元論の世界においては
語ることができないような気がしています。
つまり、愛というものはこの二元論を超越しているものなのではないかと思うのです。
愛を、二元論として解釈しようとするからこそ
様々な対義語らしきものが考えうるだけであって、
本来愛とはすべてを包括し、超えているものなんだろうなと思うのです。

そんな愛について、結局のところ、
ドグマとして捉えるものが宗教なんだろうか、
なんてふうに、思えてならないのです。

さて、二元論の話に戻りますね。
この世の中にある、
善なるものに対して、悪がありますが、
皆さんは正義、についてはどうお考えですか。

わたしは昔は責任感と正義感が強い子だと通知表によく書かれたものです。
わたしは両方とも、それを褒め言葉として受け取っていました。
しかし、その後の人生において、正義感の強さと、責任感の強さに
こんなに悩まされることになるとは。

これは、そう通知表に書かれた先生を責めるものではありません。
この二つをどんな印象で受け止めて生きていくのかは、
すべてわたし次第だからです。

しかし、そんなこと、小学生の頃からわかるわけありませんよね。
人格が形成される最中にいただいたその言葉は
今後のわたしの性格を占うもののようでした。

講座では、こんな話もでました。
戦争は、正義か悪か。
皆さんは、どう捉えますか?
日本人であれば、悪と答えることが多いでしょう。
原爆が落とされた唯一の国でもありますからね。
日本は、日本国内での争い(乱)は、それなりにありましたが、
宗教的な争いは、世界のレベルで起きるようなものほど大きくはないんじゃないかと思います。
もちろん、あるにはあったという認識ではおりますが
だからこそ、理解しにくい面があります。
日本が島国ということも大きくあると思います。
陸続きでないからこその安心感が日本にはあるかと思うのです。

でも、いざ日本国を守らねばならない状態になったとき、
戦争をせざるを得ない状態になりうる可能性もあるわけで、
そんな危機にみまわれたら、
日本国民を護るという意味での正義は、
それでも武器を持たないことが正義なのだろうか。
それとも武器を持ち立ち上がり国を護ることが正義なのだろうか。
しかし日本は他の国の歴史にみるような宗教上の争いを経験しなくてもすんだという
恵まれた環境にあったからこその独特の精神があるんだろうなと思います。

他の国に現代でもみられる戦争を思うと
宗教上の様々な理由が、
特に中東の国々をみていると
宗教勢力の縮図のようにみえてきます。

愛を唱えているはずの宗教が、争いを引き起こすのは何故なのか。

とあるアメリカ兵はいいました。
戦争は正義だと。
それは、正義は自分たちが大切にしているものを護ることだ、
そういう信条がある人にはそうなのでしょうし、
一方で、
戦争のない世界にしていくものこそ正義だと意味付ける人々もいます。

そんなふうに物事の事象にどれだけ意味付けするのか、
人間は意味付けしたがる性質を持つものです。

正義は善か、それとも本当は悪なのか。
しかし、そのような見方こそが二元論といえます。

一方で正義の本質は何かの事象や人を裁いたり
コントロールしようとすることが多いように思います。

善なるものへ変えよう、とするエネルギーのように見えますが、
実態は、その正義の方向に正すステップには、
まず、それが善か、そうでないかの裁きのエネルギーが発生するからです。
そして、場合によっては、それを善へと正そうとする、コントロールのエネルギーが発生します。

正義には愛はありますか。

正義とは、二律背反の上に成り立っているように思えるのです。

善か悪かは、誰がどんな立場でジャッジしているのでしょうか。
宗教とは、結局のところ、なんなのでしょう。

一切が空、なのであれば、
諸行無常、なのであれば、
善も、悪も、すべてが最初から
なにもないのかもしれません。

人間が、都合や立場で、意味付けしているだけにすぎないのでしょうね。

しかし、その意味付けは、信じ込みなどとなって、
時に、苦しみを自ら作りだしてしまうこともあるのです。


愛はすべての人間の中にある、といわれます。

人間は光でもあり、愛でもあるからです。
そんな、次元を超えて存在するのが人間なのです。

だからこそ、
愛がないと思うその世界は
いまは愛が見えないだけであり、
本当は、必ずどこかにあるのです。


愛の視点から世界をみられるかどうか

ということが大切なことなのです。

愛の視点から世界を見れば、
そこには正義はなく、悪もなく、
つまり、
この世を楽に生きるには
愛の世界を体験するため、
わたしたちの学びは
二元論の世界に生きることの中にあるのです。
正義とは、善とは、悪とは。
その中にある愛をどれだけ感じて生きていくか、

ということなのかなと思います。
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