花魔女★れいあ

花魔女★れいあ

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はい、れいあです。

今日は自分語りの日です(笑)

3.11といえば、東北、関東に住む者にとって
やはり震災のことは、通らずにいられない感があります。

この日を境目に考えが全く変わった人もかなりいるでしょう。
2011年3月12日に天王星が牡羊座へ移動したことはかなり関係しているように思いました。

「あの日を忘れない」
と、よくいいますが、もし被災をダイレクトに被った方々であれば、
「忘れること」も、生きる術として必要な時がある気がします(もちろん心のケアをしながらですが)
起きたことをいったん脇におかないと、頭の中の整理がつかないだろうし、
前に進むために「あえて今は忘れる」必要もある場合もあります。
だから
「この日を忘れてはいけない」
というのは、激甚災害から少し離れた人たちが客観的に発する言葉というイメージがあるのです。

そんなわけで、わたしは特殊なのかもしれませんが
「この日を忘れない」という言葉に、ちょっと被災者との距離というか、
建て前的なよそよそしさを感じることもあります。
当時「自粛」とか「不謹慎」ということにおいて、さまざまな議論がネットで交わされましたが
そこにも一種の同調圧力のような、同じようなものを感じました。

言葉にしたくても、言葉すら発せずに呆然として、
何をなにから、どうしたらよいのか
途方にくれてしまった、
というのが、被災の現状なんだと思います。

ヤンキースの田中将大さんは
「自分にできることを探していきながら自分なりにいろいろと震災には関わっていきたい。
感じていただける部分はプレーで見せていきたい」
とコメントしたそうですが、
そういうスタンスが各自必要なんだと思います。

この震災は東日本の大地だけでなく多くの人々の心をも揺るがしました。
中には「なにもできない」という無力さでうつ症状になる人もいました。

この震災の直後からわたしはセラピストをスタートさせた転機の年でもありました。

あの日、外出していて、帰ってきて10分で揺れ始めました。

わたしは前々から地震や防災に興味があったので、初期微動の揺れの感覚から、
どのあたりが揺れるとか、どれくらいの大きさかを地震を感じるたび予測をする癖がありました。
そしてこの日もそうでした。
前日の3月10日の夕方、激しくサイキックな体感が雷のようにあり
(いまでは、その警告は大天使ウリエルによるものだったとわかったのですが)
翌11日のこの瞬間、わたしは二階で洗濯ものをとりこんでいたんですが、
揺れの感覚や体感のこともあり、瞬間的に「ヤバい」と思い、すぐさま一階の祖母の部屋にかけつけました。
大きな揺れがくるという感覚があったので、寝たきりの祖母を守るためでした。

祖母のベッドは揺れに耐えられるのか、色んなものが落ちたり、倒れたり、飛んでこないか、祖母も揺れて動けず不安だろうし
それからいかに守るか。。。

わたしが地震の予想をしようだなんて研究を始めたのは
東京に住んでいたときからだったのですが
すべて寝たきりで動けない祖母をどう守るか、ということからはじまったんですね。
周りからは相当変わり者だと思われました。

そして実際に地震が発生し祖母を守ることができたとき、
確かに停電したり水不足になったり大変だったのですが
何よりも無事でよかったという以上に、
わたしには「祖母を守りきった感」がとても強くありました。
そして自分の祖母に対する役割がひとつ区切りがついたかんじだったんです。
そこには家族を守ることができた、という思いがありました。
わたしが介護をしていた理由も自己満足かもしれないけど
祖母が幸せだと思って残りの人生を生きてほしいという気持ちが根底にあったんですね。
わたしは祖母に介護でエッセンスやアロマをつかっていったことは
今のわたしのセッションスタイルに大きな影響を及ぼしていますし
祖母からのプレゼントといってもいいかもしれません。

そしてそんなときセラピストとしてデビューしたこともあり、
次はお客様が今よりもっと幸せになるための日々研鑚が始まりました。



それまで、わたしは介護を一日中しているから仕事は体力もないしできないと思っていました。
もし仕事をしたとしても自分の都合のいい日時でできるなんてないよと思っていました。

先日、お客様とセッション終了後お話していて、
その場でわたしは、これまで必要以上に「自分以外の問題」を抱え込みすぎていたと話しました。

介護にしても、相続にしても、それまではわたしが父親のかわりに一人でやってきて、
やっているうちに「他の誰かには任せられない」と感じるようになり、
責任感もあって、問題として大きくかかえこんでいました。

家の問題をわたしが取り組むことで、わたしはきっと、
そんな形で両親に認めてもらいたかったんだろうなと、
数年たった今ようやく気づきました。
そしてこうすることこそが「親を越えること」だとも思っていました。
だけど「親を超える」とはあくまでも比喩にすぎず
実際は「越えるもの」ではないということもなんとなくわかっていました。
それらは、ヒーリングを自らにして、数年たってようやく気づいたことでした。
こんなふうに、ヒーリングして、すぐに気づく問題とタイムラグがあり、あとから気づくこともあります。

わたしはフェイシャルをし、お客さんを持つようになり、
介護にしても、ある程度、親に任せることが必要になってきました。
しかしわたしは一方で親に対する信頼を抱いてないため、親に祖母を任せるのにはかなりの勇気が必要でした。

そしてまたわたしは常に祖母のことが心配で心配で仕方なかったのですが
「不安を手放す」ことは、祖母を手放すことのように感じていたのかなと今でなら思います。
わたしには感情を手放すということはセドナメソッドなど理論で知ってましたがうまくいかず
エッセンスを常に携帯していました。
仕事のときも祖母が気になって仕方ないこともありました。
だけど、そんな中、どこか、自由さを感じていたことにも気づいてしまいました。

わたしが「自由」と感じることは、介護の責任を放棄するようにも感じられ、
それ以上に、祖母が淋しさを感じるんじゃないか、という祖母に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
そう。
わたしは「自由になること」に対して「罪悪感」が強くあったようなんです。
その罪悪感がわたしを苦しませました(そのことにも近年ようやく気づいてきました)

祖母が淋しいだろうと思って、、、
確かに祖母は一人で寂しがっていたのを知っていたのですが、
わたしが、祖母のことが好きだったので、わたしが淋しかったんだなと、祖母が旅立ってから気づきました。
投影同一視してたんですね。
祖母に自分を見つけていたのかもしれない。

いつ旅立つかどうか、心の準備をしていたというよりも
気持ちはいつも「最悪の事態」を想像ばかりしていました。
そして東京に住んでいたとき、最悪の事態=災害と想定していたのですが
地震から祖母を守ったという達成感の一方、
今度は祖母が旅立ってしまうことそのものが不安の対象としてフォーカスされ、
「わたしにとって」最悪な事態だということがわかったんです。
しかし当時は地震予測や防災のほうにあえて目を向け問題をすり替えることで
「物事の本質」(祖母は魂レベルでは存在し続けることは理論ではわかる。でも目の前から肉体レベルでいなくなるのは嫌だ!って気持ち)とか
「本当の自分の気持ち」(祖母がいなくなってわたしが淋しいこと)から
おそらく逃げたかったのだろうなと今でなら思います。
常にわたしは、不安の材料を見つけて心配しては
本質から目を背けているような、
自らの感情を不安という形で麻痺させ中毒になっていた感じがします。

自分の問題は自分の問題、家の問題は家の問題、そういうふうに、
問題が大きすぎて手を付けられないと感じる時、
問題を小分けにして考えると、
すっきりすることもあります。

つまりわたしは介護をしていたとき、罪悪感と自由さの狭間で悩み、
だけど自分の存在価値をどこかでそこに見出し、
しかし本当にやりたいという気持ちなどについて
介護があるからといってあきらめの理由にしていたのかもしれません。
「本当の自分がすすみたい道」にいきたくてもあきらめてしまってた、というか
本当にすすみたい道が何だったのかも介護をしていたときは思い出せずにいました。
そして震災の年にスタートしたセラピストは「わたしがやりたいこと」であり、
現在のわたしに至る、というわけです。

あの日、なにもできずに無力さを感じた人も、
わたしのように転機がきたひとも、
みんな、みんな、これからはじまる。

日本は世界の雛形という考え方は
大本教の出口王仁三郎の教えや日月神示で有名になったのですが
わたしは信者ではありませんが「日本は世界の雛型論」を信じたいです。

占星術では土星より地球から離れたトランスサタニアンの外惑星は、社会を示します。
「社会でおきることは個人レベルでおきる」という考えは
潜在意識の裾に集合的無意識があると考えれば
なるほど、、いえるかもと思えます。
天王星が12星座のスタートの地点である牡羊座に戻ってきた2011年3月12日。
その前日に発生した東日本大震災。
日本で起きたことは被災地以外の個人個人の心をも大きく突き動かしました。

ひとりひとりの意識が変わることにより、日本が変わり、
やがて世界がかわっていけますように。

ひとりひとりが幸せを感じることで、
やがて世界の誰もが「幸せ」と感じる日がきますように。。。
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