花魔女★れいあ

花魔女★れいあ

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はい、れいあです。
11月になりましたね。
今年も残すところあと2か月になります。

セッションを通じ、今年は夏あたりに大きく変化があった方が多かったみたいです。
皆様においてはいかがでしょうか。

さてさて、今回、いきなりなんのタイトルだ?と思うかもしれませんねw
ちょっとお恥ずかしい気もしますが、まずは自分語りからいきたいと思います。



わたしはかつて音楽関係で働いていました。
音楽関係の仕事をやめてからも趣味のメインはクラブ音楽。
そんな中、趣味でDJをやっていた男性とお付き合いしたり、好きになることが多かったのね。

最近、音楽をランダムできいてたら、
昔付き合う流れになって、付き合わずに終わった、
静岡で時々DJをしてた男性のDJ MIXが流れました。

たとえば、付き合っていた人や好きだった人と疎遠になったりしたら
「相手のどんなところが好きだったんだろう?」
って振り返って思うこと、ありませんか?

その人の前につきあっていた人が、いきなり結婚してしまい、ショックの中、
友達とも誰とも関わり合いを持ちたくないと思っていたけれど
そんな中、つかず離れずのいい距離で、いつもそばにいてくれたのがその人でした。
だから好きになったのかなぁ?と今になって思いつつ、
好きになった一番のきっかけは、彼の音楽でもあったんです。

わたしは基本的に外見で相手を好きになることはありません。
DJ関係の人の前も音楽関係の人と付き合うことが多かったんですが
外見では好きにならないといいつつ
「”この人のセンスいいな”と思える人でなければ好きになれない」
というかんじで男性の持つセンスで選ぶ傾向もあったりしました。
センスはあくまでも感覚的なものではあるけれど、ある意味外見、ともいえるのでしょうかね。。
「わたしからみてセンスがいい=自分の憧れている理想のセンスや独自の発想を持つ人」
ですからね。

そしてまた、さらにいえば、まわりから
「エキセントリック」
とか
「変わってる人」
といわれる人がほとんどで、私自身その人を変わってると思っているかんじなんですね。
その彼も、かなり独特な発想をする人でした。
男性(しかも力仕事w)だけど「天使好き」「占い大好き」というかんじでしたからあまりいないタイプですかね。

そんなわたしがその彼と遊びにいくことになったとき、
とある西湘方面の駅で待ちあわせをしてました。
遅れてやってきた彼。
「自宅に忘れ物した」といわれ、彼の部屋に一緒にいくことになり、
どこに行くあても決まっていなかったのでターンテーブルでしばらく音を色々流してくれていました。
DJやってる人とつきあうときは、そんなふうにお部屋で音をきいてなごむことが多かったです。
そしてそのあと部屋を出て車にのり、車が好きな人でもあったので、山にでかけたり、海にいったり。。
その彼の実家は小田原だったのですが、
つきあう関係の人は小田原~西湘界隈の人が多かったんですね。
小田原は自然が多く、海ももちろん、山(箱根)もすぐそこにあって、歴史のある街(小田原城とか)で、
そこに住む彼らは小田原をすごく愛していたのを感じました。

その彼が車の中でふと音を流しました。
「レイちゃん(とよばれてたw)が好きそうな音をつないでみたよ」
といって。
すごく感激しました。

DJの友達はみんな優しい子が多くて、元気ないときに、元気になれる音をくれたりしてくれました。

”音の数だけ思い出がある”

というと大袈裟かもしれないけど
それほど音って不思議な力をもっている。
元気づけたり、癒したり、なぐさめたりする力だってある。
音をきくと、この人とこんなふうに過ごしたり、遊んだりしたなって記憶や思い出だけじゃなく
その人がこの曲好きだといってたな~なんてふうに
印象や記憶とも結びついてるんだよね。

先日、改めて、その子の音をきいて、
わたしは、その子のつむぎだす「音」がつくづく大好きだったんだな、と感じた。
それって単に音にその人を投影していただけだったのかな?

DJやアーティスト、ミュージシャンにとって音は魂でもあるといっていいし
その人の側面をもあらわすと思うの。
作りだす音はもちろんのこと、DJで流す音も同じこと。
お客さんの雰囲気や求める音を察知して、自分の中で音を組立ていくのですが
組み立てられた音の節々にその人を感じさせることが多いんです。

ある意味でいうなら、わたしはその人を投影した「音」が好きだったのかもしれない。
だけど実際、音は「その人の”一部”」だったから、大好きな音だけでなく、その人も好きだった。
疎遠になった今でも音は今でも相変わらず好きだし、
音は永遠だと思ってる___それはまるで魂の一部のように。

わたしはどちらかといえばそんなふうに音楽というものをとらえる。
それだけ音が大切な日々を送っていたし
今でも音に元気づけられている。

そんなこんなを思うと、わたしの中で「恋」ってなんだろう?と思うわけです。
音やセンスといったその人の一部だけをわざわざあげつらえて好きというわけでもなく、
それはあくまでもきっかけにすぎないわけで。

そんな恋と愛の違いを、たいしてわからないあたしのような女がいうのもなんだけど
「恋は自分本位」ともよくいわれるよね。
でも、それっていったいなんででしょうか?ね。

たとえば「自分が」いいなと感じた「理想」だったり、
「相手の中にある小さな自分」を見出した時(投影)・・・・
いろいろあるかもしれませんが
恋をする相手というのは、やはり投影であり、
恋は「幻想」なのだろう。
なによりも「自分を映し出す(投影する)鏡」の象徴のようなものなんですよね。

自分にはないと思い込んでいるからこそ、正反対のタイプを好きになったり、
自分は持っていない部分と思い込んでいるからこそ、それを埋め合わせようとしたり、
または自分とすごく似ている部分がいとおしいと感じたり、憧れだったり。。。
「恋する自分が好き」という人もいますが(笑)
そんなふうに”恋って「自分」に対しての想いの潜在的なあらわれ”でもあるんだろうなと思ってる。

よく「引き寄せ」っていうでしょう?
例えば自分が未解決なパターンを引き寄せて世話の焼ける人ばかり引き寄せて、面倒をみるハメになってしまったり
そうやって、何かに気づかせ、学びをさせるために、恋ってするのでしょう。
自分が本質的に変われば、ネガティブを手放したものを引き寄せるのでしょう。

つまり「その人を映し出す鏡」こそが恋の相手であって
それについてしっくりわかったとき、
そこからきっと「愛と調和」を学ばせてくれているのだと気づくのです。
それが恋愛の本質なんじゃないかなと今のわたしは思っています。
でもそれは人間関係から学ぶというコミュニケーション
自分と他人の本質のようなものなんでしょうね。

では、タイトルにも書いたように
「人生と恋に落ちる」とはわたしはなにをいいたかったんだと思いますか?

とってもスピリチュアルな言い方をするならば
「宇宙を信頼する」
ことだと思っています。

それは、わくわくすることだったり、どきどきすることだったり、
そんな「恋に落ちる」意味ももちろん含みますが
”受け取ることと与えること”だったり、
”生まれてきた目的を思い出して実現していくこと”だったり、
”可能性に心を開くこと”だったり、
何か嫌と感じることがあったとしても

「あるがままを抱きしめること」

なんじゃないかな思うのです。

それは”自らの人生を祝福すること”でもあり、
”人生そのものに対する感謝”でもあります。

脚本家はその人自身であり、監督も、俳優もその人自身です。

どの瞬間にも、望むものを生み出す力というのは、その人の中にあるのです。

自分を受け入れたとき、人生との恋ははじまります。


天に向かって生きながらも、
地上での目的を果たすためにあると気づけます。
それが「宇宙を信頼する」ことなんだと思うのです。

人生と恋に落ちることは、自分を受け入れることで始まります。
そこから「内なる神聖さ」を表現する喜びが生まれます。
人生はダンス、なのです!


自分の人生を祝福することは、
あるがままの自分を祝福すること。

あるがままの自分を信頼することができたら
宇宙をもすんなりと信頼していくことができるのでしょうね☆


最後までお読みいただきありがとうございました☆彡