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自分の真実に向き合い、アロマとフラワーエッセンスを用いていまを生きるお手伝いをする魂の錬金術師れいあの日常を綴ります

ご感想をいただきました

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魂の錬金術師れいあ
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はい、れいあです。

昨日福岡から帰ってまいりました。
福岡は1泊ではありますが
リフレッシュ&リラックスの旅なので
メールチェックはしないように心がけました。
以前はなんだかんだで気になりメールをみたりしていたんですが
今回から楽しさに集中できるように心がけていきたいと思います。

さてさて。今回は先日ご新規でいらしたお客さまよりセッションのご感想をいただきましたので
こちらに許可をいただきましてシェアさせていただきます。

どうもありがとうございます。

言語化が下手くそで、話題があちこちに飛びがちな私の話をれいあさんが冷静かつ的確にダウジングで拾い上げて下さってとても助かりました。

目の前でダウジングしたり、豊富な知識を説明したり、エッセンスを作成するれいあさんは
イメージした通りの魔女さんで、気分は「魔女の宅急便」のキキに感動するとんぼ状態です。
べそべそ泣きながらも、どこかワクワクしながらセッションを受けることができました。
心が極限まで辛い頃にはじめた自己流のチャネリングは、妄想と自己暗示の結果なんだろうなと半信半疑だったし、
ただの現実逃避なんじゃないかと自己嫌悪も生まれていたので。

そして、この十日間ほどで、心の動きや体調を見ていて以下のようなことを感じました。

・仕事で 他の同僚の方の言動に無闇に動揺するのが減りました。
あらゆる出来事への緊張も緩和したのか、疲れにくい気がします。
接客時の声もなんだか優しいトーンを維持できています。心が楽だと、体も楽というか。

・セッションでホワイトボードに書かれていた事への対策として必要な情報が幾つか入ってきました。

・なんとなく、以前より自分に優しくなれて心の声が少しわかってきました。

・この10日間に起きた仕事の人間関係のもやっとする出来事に対し、反応が少し変わりました。
以前なら休みまで引きずると落ち込んで何も手につかなかったのに、最低限やることはやろうと決めてそれを達成できました。

・どんなに 虫歯で痛くても、昔のトラウマでずっと行けなかった歯医者に行く勇気がやっともてました……(笑)
今月中には覚悟して行きます。

そして、今日神社に行って引いたおみくじの内容と自分に今必要なグラウディングとはなんだろうと、帰りの電車の中でぼーっと考えていたら

「駆け足で先ばかり見て走ろうとするのではなく、もっと一つ一つをじっくり味わう為に少しだけでいいから、ゆっくり丁寧に過ごしてみよう」

と浮かんでようやく自分の言葉としてしっくりきました。
セッションレポートを読み返したり、いただいたエッセンスや香りを染み込ませた用紙を用いながら、焦らず自分の変化を見つめていこうと思います。

ぜひぜひ、またセッションを受け たいと思っていますので、その時は何とぞよろしくお願いいたします。
改めまして、この度はご縁を結んでいただきありがとうございました。



最後までご覧いただきありがとうございました。

みぞおちのチャクラが伝えること

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魂の錬金術師れいあ
はい、れいあです。

今日は休みだったので近くの湯けむりの庄(温泉施設)にいき、岩盤浴で
チャクラのメディテーションをしていました。

ソーラープラクセス(みぞおちのチャクラ)をヒーリングしていたときに

「いま太陽は日蝕中」

とつたえてきた。

第3チャクラは太陽神経叢といわれるのだけど
わたしはいろいろヒーリングを仕事でしていると
みぞおちに太陽が見えたりすることも多い。
わたしについては「日蝕」らしく、
肝心の太陽が見えなくなってしまっている。
第3チャクラは自己肯定感とか、自信とかのチャクラです。

そしてアーススターチャクラにつながったときかんじたことがありました。
アーススターチャクラは足より下20㎝くらいにある肉体にはないチャクラですが
これもわたしのヒーリングではよく行うチャクラです。

よくワンネス思想とかっていいますけどね。
正直わたしはワンネス思想ってニューエイジ的なものに感じて苦手なんですよね・・・
みんなつながっているって、集合意識の深いところではつながっているよなとは思うけど。。
そのワンネス思想のイメージってわたしは「頭上」でみんながつながってるというかんじに思えていました。

でもまぁわたしにきたイメージは

「わたしたちは
大地を通しても、みんながつながっている」

というものでした。

これは人類みな兄弟的なものではなくて
大地を通して自然界でつながるイメージです。
大地は自然界、動物、レンくんとも!つながってるんだ、わたしたち!
つまり地球につながるってこういうことか、というかんじ。

宇宙だけでなく大地とも、もっとつながりをかんじたい

そう思ったのです。

するとサードアイに曼荼羅がみえてきました。
曼荼羅ぽい花だったのですが。

そのときわたしは曼荼羅といえば。。。
金剛界曼荼羅
を思い出したのです。

曼荼羅の原型は、宇宙です。
仏教では空海がもたらした「金剛界曼荼羅」と「胎蔵曼荼羅」があって、
この2つを合わせて、両界曼荼羅といわれています。

「金剛」とは、ダイヤモンドのことです。
つまり大日如来の智慧は何ものにも傷ついたり、揺らぐことはないということでもあります。
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グリッドが9つになっており
九会(成身会、三昧耶会、微細会、供養会、四印会、一印会、理趣会、降三世会、降三世三昧耶会)から
なる曼荼羅になります。

一方胎蔵界の「胎蔵」とは、子供が母親の胎内で育つ
大悲胎蔵生(だいひたいぞうしょう)
ことを意味し
大日如来により悟りの本質が生まれる意味とされています。
衆生(しゅじょう)の苦しみを救う仏や菩薩の大きな慈悲のことを「大悲」といいます。
つまり「大悲胎蔵生」とは、
仏の大悲が衆生を守護して育てることを母胎が子を養育することにたとえています。
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上記の中心部を「中台八葉院」といい、
中央の大日如来の周囲を、
宝幢如来、開敷華王如来、無量寿如来、天鼓雷音如来、普賢菩薩、文殊菩薩、観自在菩薩、弥勒菩薩、
の八尊が取り囲んでいます。
そこをさらに取り囲むかたちで、
中心から外へと向う大日如来の智慧の働き、および悟りの世界への道程を示してもいます。
大日如来の慈悲と智慧の光が世界の隅々にまで浸透してゆくさまをあらわしています。


まあ、リラックスするはずの岩盤浴でいろんな情報が入ってきてしまったのですが
大地でみんなすべての自然ともつながっていることを再認識した直後、
天、つまり仏さまも、天使も、神など形態こそ違えど色々なサポートをしているということは

わたしたちがいきている意味は 天の意志を実現することなんだ

という感覚がきたのね。
この感覚はすでに何度もきているものではあるんだけど再認識ってかんじ。

だからわたしは 真実を生きよう

とかんじたんです。

そうしていたらつぎに

サットバ

邂逅

という言葉がきました。

邂逅

は文字がうかんだんだけど、
かいこう
といい、思いがけない出会い のことをいいます。

サットバについてですが、ヨガやアーユルヴェーダをされてる方ならご存知だと思います。

体質にドーシャがあるように、気質も大きく3つあるとアーユルヴェーダではいわれています。

アーユルヴェーダでは、この3つを

「サットヴァ」(純粋・調和)
「タマス」(停滞・重さ)
「ラジャス」(活発・激しさ)

といいます。

サットッヴァ(Sattva)
安定し、否定のない純粋でクリアな心の状態で、物事を公平に見ることができる状態です。
この状態になることは
自信があり、
自分のやりたい事が明確な状態です。
つまり
純質、喜び、優しさ
を意味しています。

いまは、太陽は日蝕中だけど、
サットヴァな状態を目指していきなさい

というメッセージが
みぞおちのチャクラからのメッセージでした。

ご覧いただきありがとうございました☆彡

「ゆるし」のステージ

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はい、れいあです。

昨日、仕事帰りに、ちょっとスピリットたちともめたんですが
わたし的には、なんか裏切られたような気持ちにさせられることが何度かあったのですが
わたしの中で、それが悲しみ、怒りを通り越して
「失望感」
となっていました。

朝起きたらすごい失望感で起きていました。
なにか空虚な気持ちにもなっていて
苦しい、つらいというよりも抜け殻というのとはちょっと違うかな
なんか空洞みたいな感覚。

裏切りといえば、人間関係がまずあげられるかもしれません。
人間関係での信頼や失望感虚無感というのはすごいつらいと思います。
わたしの場合、それがスピリットのレベルで起きる感じです。
人間だと「ちょっと距離をとろう」ってことが可能ですが
目に見えない存在の場合に対しては、それができないという、
誰かとこういう感覚を共感できうる部分がほとんどないのもつらいところかも。

以前、わたしはジェラルド・ジャンポルスキーの「ゆるす ということ」の本を図書館で借りて何度か読みました。
文庫版になって、買おうと思ってなかなか買わずにいたのですが
ようやく先日買おうと思い、購入したのです。

ゆるすということ もう、過去にはとらわれない (サンマーク文庫) [ ジェラルド・G.ジャンポルスキ ]

ここに何度も書いているけど
わたしは小さいころから父親に虐待をうけて殴られたりしていました。
母親からもネグレクトがあったり、
自分を愛しなさい
なんてよくいうけど、愛の感覚なんてわからないままずっと生きてきました。

そしてヒーリングやスピリチュアルな成長を経て、
何度かこれも書いているけど
今年になって父親に対する慈悲の気持ちが自然と出てくるようになってきました。

先週、父親は家の庭に出るウッドデッキの補修をひとりで行っていました。
わたしは今日休みでしたが
いつもこの時間は外に行っているはずの父親が家にいました。

「ウッドデッキ完成したんだね」

というと

「でもお母さんは何もいわないし手伝いもしない」

と母親に対する不平不満を話し始めました。

わたしは

「明日、近くの温泉に行こうかと思っててさー」

と話を切り替えました。

すると父親は、以前わたしがあげたそこの招待券が1枚余っていることを伝えてきたのですが

「有効期限が・・・ん、、今日だ」

という今日までが有効期限ということに気づき、しかし父親は

「もったいないね。でも仕方ないよな。もうお昼だし」

といっていました。
わたしの心の中では

(わたしが今日行く?うーん、でも今日の気分じゃないんだよね・・・
それより、そんなふうに行かないなら、もう誕生日のプレゼントに温泉の招待券は、もったいないしあげるのやめようかな)

なんて思いめぐらせていました。

しかし父親がその5分後くらいにいきなり

「やっぱ行く。今日、温泉行くわ」

そういって準備をはじめました。

今日は先ほども書いたように通常ならこの時間帯に家にはいないのです。
でも偶然いて、お昼ご飯の時間の直前でした。
父親はその温泉でお風呂のあとにごはんを食べて飲んで帰るのが好きだったのです。

「ウッドデッキ、何日もかけて一人でがんばって作ったんだからさ、身体を休めろって意味じゃない?
のんびりしておいしいもんでも食べてきなよ。
今日は天気もよくて良かったね」

と父親にいうと、出かけていきました。

父親が出かけた後、完成したウッドデッキを見て
お母さんのために作ったんだもんな。
ありがとうの一言もなけりゃ、やってられない気持ちになっちゃうよな・・・
お父さんがリラックスできますように・・・
そんなふうに気付けばふと祈ってました。

わたしはこの最近とくに、父親に対して

「自分の人生、好きに生きてほしい」

という気持ちが強くなってきました。
これまで父親には制限されている、とか心の病のときは監視されている、とまで思っていた相手なのにもかかわらず、です。
わたしのやりたいことをやらせてくれなかったことも多かった父親に対して、こう思っている自分に驚いています。

でもそれは、わたしがわたしの本当にやりたいことを仕事にしたり、
好きに旅行に行くなどするようになったからこそ、です。
わたしは自分が好きなこと、やりたいことを選択して生きてなければ
そう思えなかったかもしれません。

父親は、これまで家族のため、会社のために働いてきて定年して介護をするようになり、
そして介護で腰痛が激しくなって・・・
もっとやりたいことをやってほしいと強く思うようになりました。

いまのわたしは

「人生、自分をつかいこなしてなんぼだよなー」

って思うんだよね。

だけど父親はそんな気力もないようなかんじでいたのです。
旅行に母親といっても歩きつかれ、結局また腰が痛くなり・・・
なんてのを見ていると、なんともやるせなくてね。。。

これまでひどいことをされた

という被害者意識が強かったわたしだったのですが
意識が変わってきました。

ゆるしたくない

とは思っていませんでした。
でも

許そう

と思っても、どこか許せない気持ちが出てきてしまい
わたしは許したくても許せないという気持ちが強く残っていました。

でも今生では、きっとゆるすことはテーマにはのぼらないだろう

とまで思っていたんです。

ゆるすことをあきらめていました。
だって、ゆるすことって、エネルギーをたくさん使うものだって思っていたんですもの、ずっと。
気合いいれないとだめなんじゃないってふうにね。
でも、実際は違うんです。
自分を緩めるというか、リラックスさせるというか、
むしろゆるすぞー!って気合(?)はいれないというか。
ゆるすことって、自分への癒しのようなものだなって思ったんですね。
そんなこんながようやくわかってきて、体得できてきました。

それは思いの外
スピリットたちへのわたしの気持ちがきっかけで
さきほど紹介した本を急に読みたくなって手に取り
父が温泉にいったあと読み始めました。

なんていうかこのタイミングで起きたことに父親の気持ちが変わってきた様子をみて

もしかしたらお父さん、変わってくるタイミングなのかもしれない

そういうふうに思いました。
意識の使い方で物事を見る見方が変わってくることを父親が知れば
もしかしたら腰痛もよくなるかもしれないと思っていました。

ゆるす ということ の本を再び読み進めるうちに
わたしが頭で思っていたもやもやが書いてありました。

ああ、やっぱわたしは(スピリットたちを) ゆるさない でいることで 私自身が苦しいんだ
そんな感覚があったことに気づきました。

ゆるすということは

ひどいことをされた!

というその行動そのものを容認するわけじゃないんです。
ゆるすということは自分の中にある「縛り」をほどくような作業に思えました。
だから、ゆるしは自分をリラックスさせるものだよと先ほど書いたのです。
それにより緩める感じで楽になっていくのです。

わたしの場合は、わたしの中にある「正しさ」とリンクづけされてるように感じました。

「わたしは 正しい。 だけど スピリット おまえらはダメだ!間違っている!
お前らがしっかりしないからわたしが苦しむことになる。どうしてくれんの?」

っていう気持ちでした。

なにが正しくて なにが正しくないのか。

つまりわたしはスピリットをずっと裁き続けていたのです。
そして思いました。

「神様なんていないんだよね、本当は。いたら助けてくれるもん」

って気持ちも強くあって

「神はわたしを見放した」

という気持ちみたいなのがこの数年の絶望となっていったのです。

でも状況を冷静にみていると
一見不幸だなってことなんてないんだよね。
なのに、この理不尽な感じ、いったいなんなんだろう、とも思っていた。

そしてあらためてゆるしについて取り組むことになっていきました。

裁き続けていたつもりはなかった。

この感じって、わたしは「満足いかない」ということからきてるのかなと思っていたけど

ああ、裁きと罪悪感てセット・・・!

と思えるような感覚です。

この世の中の人がみな「ゆるし」の気持ちを持つことができたら
きっと争いなんてなくなるだろうし
平和で調和のとれた世界になるかもしれない。
だけど「ゆるすこと」って愛がないとできない。

結局ゆるすことって、自分自身を縛りから解きほぐしてリラックスさせることだよな
って思うようになっていったのです。

そしたら・・・頭で脳内音楽が・・・
これはメッセージだなと思ったのですが
曲名もアーティスト名も出てこない。。。

でもここまでのぼっているということは思い出せるはず・・・
と思っていたらふと思い出せました。
それは

Julia Fordham の Happy Ever After でした。


​調べていくとこれは「人種差別」に抗議する歌らしく、ある意味、絶望感を表している歌ともいえるそうです。

Don't ask me why I'm running out of laughter
There's tears in these eyes, not happy ever after
And I thought it was plain to see
And I thought the whole world could be
And I thought we'd be happy ever after.
You could say that I'm living in a pipe dream
It's just looking back, things are never what they seem
And I hope I can safely say
And I hope most things go my way
And I hope they'll be happy ever after.
Down in Southern Africa no happy ever after
Not now, but soon forever
While they're sitting comfortably
In that white winter city
How can we be happy ever after?



私が笑顔を使い果たした理由を訊ねないで欲しい
目には涙が溢れているから
それからは幸せではないの
それははっきりしていることだと私は思っていた
全世界がそうなれると私は思っていた
私たちがその後ずっと幸せになれると私は思っていた
私が非現実的な考えを持って生きていると言ってもいいのよ
振り返ってみると
物事は決して思っていたようなものではない
私は誤りがないように言うことができるように願う
私はほとんどのことが思い通りに行くように願う
私はそれらがその後上手くいくように願う

南アフリカの人々はその後幸せではない
今は幸せではないけれどすぐに永遠に幸せになるだろう
彼らがあの“白い”“冬の”街で気楽に座っている間に
どのようにして私たちはその後幸せになることができるのだろう?
私が笑顔を使い果たした理由を訊ねないで欲しい
目には涙が溢れているからそれからは幸せではないの
それははっきりしていることだと私は思っていた
多分あなたと私だと私は思っていた
私たちがその後ずっと幸せになれると私は思っていた



アンニュイなかんじの曲なのですが
こういう歌詞の意味があったのですね。

なぜこのような曲が流れてきたのかというと
大天使ラファエルがスピリットたちに伝えたい事だったらしいのです。
ラファエルの悲しみをあらわしているんだそうです。
それはわたしはスピリットたちの詳しいことはわからないけど
わたしとしては
「ゆるし」ということが自分に対する愛であること、そしてそれが他への愛でもあることならば
多くの人々が
赦しのステップまで人生で学んでほしいなと思った
んです。

このジェラルド・ジャンポルスキー氏は医師でもあるので
許せないこと、つまり許せない過去への執着が自分をどれだけ苦しめて
それが体の痛みにもなっていること
についても書いてあります。

わたしは罪悪感って基本的にあまり持っていないと思っていたのですが
魂のレベルというか深いレベルでは結構根深くあるんですよね。

人を裁くことは よくない っていうけど、ついしちゃう。。
だけど、そういう批判や裁きへの気持ちって
すごく自分自身を苦しめているんだよね。

わたしはこの本を読み終わったときこう思っていました。

「わたしは わたしを 救ってあげたい」

わたしは わたしという存在 を 救済 してあげたいんです。

わたしという存在に対して、もっと私自身が丁寧に扱ってあげたい。
もっとわたしはわたしにやさしくしてあげたい。

愛なんてよくわからなかったけど
いまのわたしは、なんだかそう思ってる。

わたしのゆるしのステージはまだはじまったばかりです。


最後までご覧いただきありがとうございました。

封印解除は自分でできる?


はい、れいあです。

セッション中、封印解除がテーマになるお客様が時折いらっしゃいます。

 わたし自身封印解除しなければならないものが自分にあるのかどうかの自覚がないのですが
セッションの段階がすすみ、その人の真実の探求がある程度されてくると
一見どうしようもないような、越えられない壁のようなものに出くわすことがあります。
それが
アトランティスやレムリアの記憶をもつ魂の封印だったり
様々なレベルでの封印です。
 セッションで、その「越えられない壁」が出てくると
わたしはかつて、なにをどうしたらよいかわからずにいた時期もあり、
「それは、わたしにはできませんのでしかるべきところでお願いします。」
という立場をとっていて
このようなことはわたしのジャンルではないなあと思っていました。

 しかしセッションに慣れてくると、お客様がわたしに求められる質みたいなものが変化してきました。
わたしはやったことがないのにもかかわらず、なぜかお客さんのほうから
「れいあさんならできると思う」
「れいあさんがやってくれると思っていた」
という声が出てくるようになりました。

セッション内容的にエッセンスの領域でないヒーリングが必要なときに
お客様の上の高次元的存在から
「彼女はこう癒せばいいんだよ」
という方法やヒントをもらうこともあります。
そんなことが昨年夏くらいからふえてきました。

具体的にいうと、
こんなふうにヒーリングすればよくなる
という情報については
いわゆる宇宙の叡智がお客様におりてきて、お客様の高次の自己から、
わたしのスピリットチームにお願いされるという感じです。

封印解除について、わたしの頭では、その技術を習得したヒーラーさんのところにいかないとできないものだと思っていました。
これはカルマについても昔は同じにとらえていました。
ネガティブなカルマも一定の技術を持った人でないと解消できないとわたしはかつて思い込んでいました。
しかし、セッションをしているうちに

「お客さん自身の力の中にカルマ解消の手立ても乗り越える術も知っている叡智がある」

ということを確信するケースが増えてきました。
まさに

答えは自分の中にある

って本当なんだなぁと思いました。
そしてわたしはお客さんの中にあるこたえを引き出す仕事をしてるってわけね!
と今更ながら納得しちゃったり。。

カルマ解消についてはエッセンスの力を借りることもありますが
多くの場合お客様は、

カルマを解消、乗り越えることができるからこそ、いま、ここに生きている

というふうにセッションをしていくうちに多くのお客様の上のほうの存在からいわれてきたんです。

つまりこれは封印解除や神との契約についても
わたし自身が、自分自身そのもので生きていくことができるうちに
おそらくはそのやり方もキャッチできるのかも?

というふうに、なんだか思ってしまったんですよ。

そして今日、お客様のセッションを行っているときに
いくつかの封印を解除する
という結論になっていったのですが
気付いたら、なぜか
「わたしがやる」
と決めていました。

これをわたしの執事君のヒーリングチームが受け取り、さらにわたしの上の存在に伝えてくれたようで
目を閉じるとお客様のところに観音様が見える。。。
と思ったら・・・・
草場さんの大日如来が見えてきた。。。
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と同時に
「大日如来です」
という感覚がきて・・
ああ、大日如来さまがいらしてくれて封印を解除してくださってるんだな・・・
とすごく納得しました。

封印解除すると決めたのはいいけど、どうしたらよいかわたしはその術など知りません。
だけどなぜか「大丈夫」と思っていてすべてまかせていました。
「愛を送りなさい」
とメッセージがきて
お客様に対し、お客様が対象へ愛をしっかり送ることができていることをわたしは見届けていました。
つまりこのやり方をすれば封印が解除される、というよりも
それもまたお客様の人生の経験や学びの中で培ってきた叡智というか
自分というものの中にやはり答や解決方法ってあるのだなと確信しました。

これまで「わたしにはできない」と思い込んでいたことだったのですが
気付いたら「できる」って思っているなんて不思議ですね。
そのようなことも踏まえて今後どんなふうに変わっていくのかなと思い
ここにそのプロセスとして、記録を残そうと思いました。

最後までご覧いただきありがとうございました。